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始まったら、「何とかする」とやり抜きます

れんこんnote 033


 始まったら、「何とかする」とやり抜くことにしています。
 だって、やらなきゃならない状況に放り込まれてしまったのですから、やるっきゃありません。

 今更、後悔しても、「後悔、先に立たず」です。
 前回の追々伸に書きましたが、始める前には、安易に「何とかなる」と思わずに、何とかなるかどうかを真剣に考えておく必要がありした。

 しかし、今となっては、後悔している暇などありませんから、「何とかする」しかありません。

 では、どうやって何とかすればよいでしょうか。

「何とかする」しかないときに心がけたこと

 何とかするしかない状況に立たされたとき、心がけたことをお話ししましょう。

 1つ目は、自分だけで何とかしようとしないことです。
 周囲を巻き込むことを心がけました。

 何とかしなければならない課題は、自分一人の課題ではなく、多くの人の課題であることが多いものです。
 だとしたら、自分一人で抱え込む必要はありません。
 どんどん周りを巻き込んでしまいましょう。

 自分一人の課題であっても、他の人も同じような課題を抱えていることが多いものです。
 だったら、協力してもらって課題を解決したっていいじゃないですか。

 2つ目は、じたばたすることです。
 スマートにかっこよくやり遂げようと思うことをやめました。

 困難な課題があったら、課題の周りをずっとうろつき続けます。
 解決できそうにない課題でも、ずっとうろついていると解決の糸口を見つけることがあります。
 大きな課題の壁に小さな穴があって、そこから壁の向こうへ行けることに気づくことがあります。
 うろついているうちに、人に出会って、解決のヒントをもらえることもあります。

 じたばたし続け、あきらめないでいるから、小さな穴に気づいたり、助け船を出してくれる人に出会ったりするのです。

 3つ目は、「自分」というリミッターを外すことです。
 「自分」にこだわらないことです。

 私は「自分なんて大したもんじゃない」と思っています。
 大したもんじゃない自分の思いにこだわり、「できない」って思うのではなく、やってみます。
 やれるかどうかと悩んでいる暇はないのですから、自分なりの方法で思うようにやってみました。
 自分にはそれしかできないし、それでやり抜いてしまうしかないと思ってやってきました。

 何とかするっきゃない状況に立ったときには、自信があるとかないとかは関係ありません。
 自分にできるかどうかの判断も必要ありません。
 何とかするしかないのですから、「何とかする」ことだけに集中しました。

「何とかするっきゃない」と腹をくくる

 結局のところ、「何とかするっきゃない」と腹をくくるだけのことだと、私は考えています。
 自分に能力があるとかないとか、自信があるとかないとかは、どうでも良いのです。
 何とかしなければならない状況に立ってしまったのですから、自分自身は自信がなくても、周囲の人たちにはその状況を切り抜ける能力や責任があると期待されているのです。

 だったら、「何とかする」っきゃないでしょう。
 腹をくくるしかないでしょう。

 「何とかする」って、そういうことだと思っています。

追伸

 何とかしなければならない状況に立つ可能性がある道を選ぶか、それとも可能性が少ない道を選ぶかは、人それぞれの判断です。
 何とかしなければならない状況に立つ可能性がある道を選んだ人が偉いとは、私は思いません。
 だって、私の場合、成り行きで選んだだけですから。

 「何とかする」と腹をくくり、やり遂げても、時が過ぎれば、すべて過去のことです。
 やり遂げた成果も栄誉も、ときが経てば、どんどん忘れていきますし、忘れ去られます。ときには、成果そのものもつぶされ、跡形もなくなります。
 それでいいのです。
 諸行無常なのですから、そういうものです。

 そのとき、「何とかする」と決心し、全力を尽くしてやり遂げた、という満足があるだけでいいと、私は思っています。

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