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言葉として残している矛盾はさておき


お気に入りの李禹煥のノート。
日記用に使っている。

美術館の最後の物販コーナーは、見るがあまり興味(買う気)はない。大量印刷された絵画のグッズにどう反応すれば良いのかわからなくなる。可愛い〜、とか? この部分のこのタッチはやっぱり良い、とか?クリアファイルを見て思いを馳せるのは苦手な方だ。
と言いつつも、李禹煥の作品が表紙になったノートは種類違いで2冊購入した。これは形、厚みが良く、丈夫なノートなのだ。

今日は日記を2回書いた。そして問いが生まれた。

言葉や説明のいらないものはありますか?

説明は、いりますか?
説明はできるけど伝わりきらないことは力不足ですか?

そんなことはないと思う私は未熟だろうか。

これは、「人それぞれ、物それぞれ、まぁ…」で片付けたい話ではない。
あるのか?ないのか?
しっかりと、イエスかノーで答えたい。

こうしてほら、また言葉だらけになってしまう。


言葉によって、邪魔されてからでは遅いのだ。

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