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触れられるいのち

”もったいない”
顔を見る度に思ってしまう。

胸を、少しざわっとしたものが通り過ぎる。
みんな、こうなのだろうか。

こんなに、可愛いのに。
こんなに、毎日近くにいるのに。


天使みたいな産毛の肌が、小さく上下するのが、息を潜めて眺めると分かる。


白い天井。窓から差し込む朝の光。
空気中にまったりと舞う細かなホコリでさえ、神聖に見える。

時の流れがゆっくりしている。


***


この天使が、この姿で居るのを見ていられる“今”って、貴重なのだ。

周りの人達が、口々に、私に言うから、きっとそうなのだ。

だから、私は思う。

こんな、ふわふわした感覚で”今”を味わえず、心配ばかりしていては、「もったいない」。

***


生後3ヶ月の息子は、午前中、よく眠る。

私は、初めて出産というものを経験した。
母になった。

小さく上下する、この、ふっくらと小さな命のかたまりが私の前に現れてから、3ヶ月経った。

…はずなのに。

私は、この光景に、慣れることが出来ない。

毎日触れているのに、目の前のこの命には、実体があるようで、ないような、不思議な感覚に襲われる。

いや、実体は、ある。あるに決まっている。こうして手で触れることができるのだから。

私が、産んだのだから。


それでも、なぜだか実感が湧かない。
この命が、なにかの拍子に失われてしまったら、と想像してしまって、不安になる。

つい3ヶ月前までこの世に存在しなかった存在が、目の前で眠っている。
にわかには、信じられない。


私の、このふわふわした感覚は、ちょっと異常なのかもしれない。

そんな不安を払拭したくて、息子にそっと触れてみる。存在を、実体を、肌で確かめる。

それでもまだ、”実感”と言うにはちょっと足りない。

だから、また触れてみる。
この繰り返し。

***

”この繰り返し。”の後に、
”2018年◯月◯日”と添えられていた。

スマホのメモだから、文字は無機質で、月日の経過を感じさせない。
でも、これは確実に、6年前の私が綴った文字だ。


ちょっと腰が痛いな、と思いながら寝返りをうつ。
この痛さの原因は何だった?
今日の出来事を振り返り、あぁ、あれか、と1人苦笑する。


見上げた窓は、黒々とした木々を切り取っている。
ざわめく葉の隙間から、触るとぱりんと割れそうなくらい細く先の尖った、月が見える。


息子が寝入ったのを確認した私は、寝転んだまま、スマホのデータの断捨離をしていた。

そうしたら、今、再会した。
6年間じっと黙っていた、このメモに。

***

振り返ると、当時、このメモを書いた私は、ずたずただった産後の体の回復を待つ日々だった。
(3ヶ月経っても、完全復活とは言えなかった)
睡眠不足で、ぼうっとすることもしばしば。

その中で、この長文を書いたのだ。

きっと当時の私にとって、よほど不思議な感覚だったのだろう。特筆したいほどに。

***

寝息が聞こえる。

今、私の隣で、息子が寝ている。

あの頃よりも、肌が日に焼けて、眉毛もしっかりした、息子が寝ている。

窓からの月明かりが、ふっくらとした肌を柔らかに照らす。


手で触れなくても、実体が”ある”のが、確かに、感じられる。

疑う気持ちが少しも湧かない。

確実に、目の前の、この命は、ここに在る。


あの時の、私のふわふわした感覚は、もう、ない。


そう気づいて、じんわり安心する。
私は、「母」になれたのかもしれない。


心配ばかりしていた私は、いつの間にか、「いまここ」を生きられるようになった。


そう思うと、ほっと安堵する。

一方で、自分が、あのふわふわした不思議な感覚をなくした、ありきたりな存在になった気がして、ほんの1ミリだけ、切なさが通り過ぎた。

すーすー。
生温かい息が、私の肩にかかる。

頭皮の匂いがする。

小さな手は、まだ、柔らかい。

重ねた手が、じっとりしてきたけれど、もう少し、このままで。


fin.

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(こちらは、私の体験を含んだフィクションです)
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