3.11から7年後の嘘のようなホントの話。
任地323日目。水曜日。
今日は午前中教育省(Ministerio de salud)の人が来て教育のプランについて話していました。めっちゃ頼りになりそう。彼女と看護師さんと一緒に、食育や栄養、健康についてのワークショップの内容が練れそうです。よかった。
午後はJICAの調整員さんが近くまで来ていたので私の任地まで寄り道していただいてお昼食べながら近況について話したり同僚と雑談したりして見送りました。
さてここからが長くなりそうなのでさっそくタイトルの話に移ります。
3月11日。日本のどの人に聞いても絶対に忘れられることのないこの日。あれからもう9年たちました。
それぞれの人にとってこの日は忘れられない日になっていると思うし、私にとっても決して忘れることのできない日です。
語り始めればきりのない3.11の記憶、その中に一つだけ嘘のようなホントの話があったので、今回はその話をしたいなと思います。
東日本大震災が起こった2011年は高校卒業の年であり、大学入学の年でもありました。大混乱の中、通っていた東京の高校は卒業式をなんとか行うことができましたが、大学の入学式はなくなりました。
また、入学した大学は埼玉にあり、物理的に大きな被害を受けていたのもあるし、入学後感じる別の側面での被害もありました。
そんななかでも時は進み、4年経って大学を卒業、そのあと社会人になって3年、そのあとのフリーターで1年弱。そして青年海外協力隊に。
この間、少しも東日本大震災のことは忘れることはなく、いつも頭の片隅にあります。大学卒業後は復興支援のNPOに入ることもかなり検討しましたが、社会人経験が足りず断念。
いろんな形で東北と関わっていきたいと今でも思っています。
2018年の10月に1人で岩手県の海岸沿いを訪れました。車を走らせて向かったのは釜石市と宮古市。とある思いがあってどうしても訪れたい場所でした。
1人での旅行なので好きなように周り、車を適当に移動させて過ごしました。1泊2日。
大きな観音様をみたり
釜石の居酒屋でおじちゃんとめちゃめちゃ話したり
高い高い防潮堤に驚いたり
釜石鵜住居復興スタジアムに訪れたり
地元の友人おすすめのラーメンを食べたり。
まあ、もっといろいろしたのですが、写真はこのくらいにしておきましょう。
東京から遠く遠くの岩手の海岸。震災ボランティアで宮城県まで訪れたけれど岩手は訪れたことがなかった。
そんな遠く離れた岩手に、まさか自分とつながる何かが、あるとも知らずに。
岩手県宮古市に入って浄土ヶ浜に行くことにしました。そこは極楽浄土と謳われるくらいの景勝地だそう。
うん、浄土・・・??
この浄土ヶ浜は三陸復興国立公園・三陸ジオパークの中心に位置するとのことですが、その浄土ヶ浜まで行く途中、浄土ヶ浜ビジターセンターという施設があり、その先に浄土ヶ浜があるとのことで訪問してみました。
岩手の自然を紹介するビジターセンター。ひとりでふむふむ、、、と拝見して周りました。
途中、階段の踊り場に写真がたくさん貼られたとある作品があり、横の方には聞き捨てならぬ大学の名前が…。
何を隠そう、私の母校でした。
なんと、まさかの私の母校。どうやら浄土ヶ浜のために、当時の大学生が、校内の学生からたくさんの写真とメッセージをあつめ、一枚の大きい浄土ヶ浜の作品にして送ったとのこと。
すごーーーい。まさか、こんなところで母校の名をお目にかかるとは思わなかった。
当時の私が通っていた大学では、震災関連の活動もたくさんあって、大学にいる多くの人にとって震災は大きな影響を与えたものに違いないことは目に見えて感じました。
そんな中で、こうやっていろんな学生に声をかけ、メッセージと写真を集め、浄土ヶ浜の写真にして贈呈する。素晴らしいなあと感心しながら一枚一枚の写真と、それにかかれたメッセージを拝見していました。
すると、
見たことのある字が・・・。
顔を見ると、見たことのある顔・・・。
え、まってうそでしょ。!!!
そこに写っていたのは、まさかの私でした。
字は確かに数年前の私の筆跡。
でも顔こんなんだったっけ?!!
とひとりでびっくり。
髪も染めていたし、化粧もまゆげも今とは違って、顔だけではたぶん自分とは気づかなかったでしょう。
明らかに筆跡が私のものに近かったのと、この日本の国旗の書き方。
そしてなにより、すごーーーーーーーーーーく薄い記憶で、この部屋で誰かにこのプロジェクトを説明されて私も協力します!と写真を撮ったような、、、、気が、する。。。。。
自分の記憶力がここまで薄いとは、思いもよらなかったけれど
でも思い出せば思い出すほど記憶がつながって、確かに大学1年のあの時期この部屋によく通っていて、こんな感じのメッセージを自分で書いたのを何となく覚えている。。
その時浄土ヶ浜のことは知らなかったから、その目の前にいる青年が、どこにこの写真を送ろうとしているのかはわからなかったけれど
7年の時を超え、600キロの距離を超え、
まさに目の前にあの時の写真がここにある。
それを誰にも共有することなく、本当にこれは7年前の自分なのかという疑いも晴らせぬまま、今日まで温めてきた話でした。
たまたま訪れたビジターセンターで7年前の自分の写真と手書きのメッセージに出会うとは。
嘘のような、ホントの話。
震災の記憶、東北への思い、忘れたくない。
私の人生を変えたこの日を絶対に忘れることもなく今後も過ごしていくんだと思います。
日本に帰ったらまた東北に訪れよう。
会いたい場所がある。
そして会いたい人に、会いに行きたいのだ。
サポートありがとうございます!! いただいたサポートはペルーでの活動費用、地域や国際協力についての学び、出張費に使わせていただきます。