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清水亮「教養としてのプログラミング講座」

科学技術が過去の研究結果の積み重ねによって、発展してきたように、芸術が、画法や思想を積み重ねながら変化してきたように、政治が過去の歴史を参考にしてきたように、仕事においても、過去の実績を活かしながら行うことが望ましいと思う。けれども、新しい制度が構築されても、それが続かないことも少なくない。制度を構築した人はよく勉強していて、みんなからの信頼も厚く、仕事ができると言われている。しかし、次の担当に変わると、難しすぎて引き継がれない。そんなことをたまに聞く。それってどうなんだろう、なんてもったいないんだろうと私は常々思っている。
そんなことを考えるヒントにもなるのが、この「教養としてのプログラミング講座」だ。というか、もともとこの本を知ったきっかけが、制度をどう導入し、浸透させるか、という話の参考文献として紹介されていたことだったから、そういう軸を意識しつつ、この本を読んだ。そしてすごくしっくり来た。
途中で、母親が子供におつかいに行かせる事例が出てくる。どんな風に伝えれば、思惑通りの買い物をしてきてくれるか、という話だ。これもプログラミングだという。事例は夫バージョンもある。子どもよりは色んな前提を共通認識として持っているとはいっても、やはり、夫婦と夫で条件が違うのだ。だから、誰かに何かをお願いする時には、色んなことを想定して、どういうことが生じるか、バグをつぶしながら考えていかなければいけない。

とはいえ、人間関係でも仕事でも、人は誰かのプログラムのみで生きているわけではない。様々なかかわりがあって、色んな人の思惑があって、その本人も意思を持っているから、簡単ではない。でもだからこそ、相手のことをよく理解し、相手の置かれた状況や考え方に寄り添い、こちらがお願いしなければいけないことを伝えていかなければいけないのだろうと思った。つまり、相手のプログラムを取り込みつつ、みたいな感じだろうか。仕事においては、それぞれの組織のミッションを取り込む感じだろうか。
いつも冷静に、人に接するのは難しいけれど、プログラムとは違って、人間関係の記憶は蓄積される。だからもっと人に丁寧に接したい。そして相手のプログラミングがちょっと不十分だったとしても、こっちだって人間なんだから、その足りない部分を補ったり尋ね返したりする余裕も持ち合わせていたい。

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