自己内省(2)中学入学〜大学院卒業まで

 今回は、自己内省の続きをやっていきます。

中学生時代

 晴れて合格した学校の1つに入学。

 中学に入る時の一番の楽しみは、どの部活に入るかだ。

 私は、入学するまでは、音楽系の部活を選ぼうとしていた。だから、親にも「音楽系の部活にはいるからピアノを買って」とお願いし、買ってもらった。

 バスケ部の部活動紹介を見た時に衝撃を受けた。

 私の入学した中学は、当時、函館市の中で1番強い学校だった。北海道の大会でも常連校。しかも、遠征もたくさんある。すごく魅力的だった。

 何が魅力的だったか。「遠征」だ。当時の私の思考回路は、「これ、旅行たくさん行けるじゃん」だ。今思えば、何てアホなんだと、本当に馬鹿だと思う。笑

 そんなこんなで、バスケ部を選んだ私。親はびっくり仰天。笑「ピアノはどうするの!」ってなってた。笑

 バスケ部に入ったら後悔するのは、考えなくてもわかる。私は初心者、周りはミニバスからバスケをやっているバスケエリート達。本当に吐くほど練習キツかった。

何百回、部活辞めたいって言ったかわからない。周りは上手いけど、別に私上手く無いし、初心者だし。笑

 「バスケ→塾」か「生徒会役員→バスケ→塾」の毎日。勉強は塾以外ではせず(小学生の頃から変わってない。笑)

 部活も引退し、高校受験。

 とりあえず、私立は一番偏差値高いところ(女子校)、公立は1番頭いいところが家から遠すぎてそこまで通うのが嫌だったので、1つランク下げた。

(家からめっちゃ近い。自転車で15分とかだった気がする。)

 難なく、全て合格。普通なら頭いいところにいくところだが、私は公立の方を選ぶ。

 選択基準→家から近い、私服で通える、男女共学(←ここ重要)。

 中学では、部活動などで、恋愛とか自分磨きとか、それどころではなかった(一応彼氏はいたけど、もはや、恋愛してなかった)。

高校生時代

 やっと、晴れて、青春の学生生活だ!バスケは絶対やらないぞ!なんて思っていたけれど、先輩に誘われて、入学前にバスケ部の練習に行ってしまった。まぁ、入る流れになるわけだ。笑

 高校では、膝をぶっ壊して、結果、ほとんどバスケできなかった。そのおかげ(?)で恋愛もできたし、いいかなとは思う。

 将来のライフプランについては、高校入学くらいから考えていた。

 当時の日本教育だと、「大学行って就職することが一番だぞ」的な洗脳をされていた。

 幸い、私の父親は経営者である。雇われた人のライフスタイルがどんなものなのかは知っていたし、経営者というものがどのくらい大変なのかもわかっていた。

 逆にいうと、そこまでしか分からなかったんだなと、今になって思う。

 当時の私は、「雇われたく無い、経営者もどうなればいいか分からない、大変そう」という理由で、「じゃあ資格をとって個人で働ければいい」という考えに至ったわけである。

 「資格といっても、稼げる資格がいいな、なら日本で1番難しい資格は何?『医者』か『法曹』か。医者は実技部分がすごく大変そうだし、公務員は嫌だから、弁護士になるか」

 そんな考えで、弁護士になることを考える。

 経営者というと、ラクイメージをする人が多いけど、私の父親の日常は結構過酷だった。今では某業界で売上が函館1位の会社である。

 そんな会社の経営者の一日は、朝9時前に起きて、9時には出社。通常業務が終わったあとは、営業先への接待だ。朝4時5時に帰ってくることが多い。土日出社も結構ある。経営者は本当に大変だと思った。

(そんな私は、今経営者や個人で事業をやっているのが、本当に笑える)

 そんな感じで、将来のなりたい職業を決定し親に伝えると、親は大喜び。

 とりあえず、法学部のある大学にいければよかったので、親が行って欲しいといっていた東京の某大学に進路を決定。親は大喜び(2回目)。

 それからは、あまり勉強をしなかった(いつも通り。笑)センター試験まで勉強しなくてセンター試験で失敗して、初めて親に怒られた。笑

 親のご機嫌とり失敗!笑

 幸い、私立だったので一般試験が1ヶ月後にあり、それまで毎日10時間勉強をして、晴れて合格。親は大喜び(3回目)。

 安心して高校を卒業。

大学生時代

 大学時代は、バスケサークルに入り、部活と違ってめっちゃ楽しくて、バスケバスケバスケの毎日。単位は最低限とった。バスケサークルを引退してから、やっと勉強開始。

 司法試験を受験するためには、受験資格がいる。その受験資格は、予備試験(司法試験よりも合格率が低い試験)を合格するか、ロースクールを卒業する必要がある。

 私は、ほとんど勉強をしていなかったので、ロースクールの道を選択。某MARCHのロースクールの受験を決める。

 ロースクールも合格し安心して大学も卒業(人生上手くいきすぎてるなと、この時は思っていた)。

大学院時代

 大学院入学後は、とても苦労した。法律は難しい(そりゃそうだ)。留年する人も、普通にいる世界。

 留年せず、最終学年になり司法試験を半年後に控えていた私に、2回目の転機が訪れる。

 先輩卒業生で弁護士になった方と話をしていた時のこと


私「先輩、やっぱり収入とか良いですか?」

先輩「年収でいうと800万くらいはいくと思う。」

(私の心の声「1年目でそれは最高」)

先輩「でも、仕事の量がえげつないぞ。正直、家に持ち帰って2時まで作業して、寝て、朝の5時には起きて早めに出社して仕事してたりするぞ。」

(私の心の声「話が違うぞ」)

私「そうなんですねー」


 そこからの私の弁護士業に対するモチベーションは全く無し。ワクワクしない。

 将来的には子供も欲しい
と思っていたからこそ、いつまでには結婚して、子供産まなきゃ身体的にもキツイな、とか考えていた。

 が、弁護士になったら、そもそも恋愛なんてしている暇も結婚する暇も無いじゃ無いか!!

 全ての予定が狂った。ロースクール卒業まではしようと決め、卒業はした。

 卒業までの期間は、自分のライフプランの見直しをめっちゃした。どうしたら稼げるのか、もちろん結婚や出産も含めて、何が私のためか。

 あとは、親の機嫌取りをやめる決意をした。親にはすごく感謝してる。

 現実を見て、自分の人生について見直す機会は、ロースクールに行ってなかったら、もう少し遅かったと思うから。ロースクールまでいかせてくれて感謝しかない。

 ここまでが、大学院卒業までの自己内省というか、振り返り。


 ここから先の自己内省もしたいんだが、そこから始めた1つめの個人事業について書いてしまうと、あることないこと噂を立てるアンチIKUKO組がいる業界なので、書くか悩み中。笑

 そこの自己内省を書くまでは、違うテーマでnoteを書いていこうと思う。


ではでは、娘と遊んできます♪BYE♪



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