日記: 初海外で現地に頼もしい兄が出来た
メルボルンに到着して早5ヶ月が経過した。はじめの1ヶ月半は仕事探し、以降は週6(たまに7)勤務の忙しい日々。まとまった休みがほぼなく、観光らしい観光を沢山は出来ていない。
しかしそんな私のメルボルン生活に彩りを与えてくれる存在がいる。それは渡豪0日目で出会った現地兄、ジャック(仮名)である。
時は遡って2024年3月、シンガポール行きの航空機内。私にとって人生で初めて日本を離れる日。費用を抑えるため朝9時発の便を選んだにも関わらず、空港まで見送りに来てくれた実姉と、長年苦楽を共にしてきた地元の友人へ涙の別れを告げた1時間後である。
新天地への緊張2割と期待8割に胸を膨らませながら、どんどん小さくなっていく成田空港と日本の海岸線を、窓からスマートフォンで撮影していると、ふと隣の席から声をかけられた。
「海外旅行ですか?」
カタコトとまでは言えないが、日本語ネイティブではない話し方。見ると、朗らかな笑顔を浮かべるアジア系の30台中盤に見える男性だった。半年前の私であれば「イェ~ス...」しか絞り出せなかっただろうが、短期間のオンライン英会話で積み上げた小さな自信を渡航ハイが後押しし、良い実践経験を積む機会だと捉えて必死に会話を紡いだ。
彼はシンガポール出身でオーストラリア国籍保持者。海外旅行と日本の文化が好きで、会社の長期休暇を利用し、日本にいる友人に会ってきた帰りだそう。全く同じ旅程でシンガポールにてトランジットをしてメルボルンへ向かうとのことで、こうして私はありがたいことに頼もしい旅のお供を見つけた。
シンガポールまでの約7時間の道中、私たちはたくさんの話をした。ワーホリの目的、好きな漫画、生まれた町の話。お互いに辞書を使いながら、それぞれの言語を交換して教え合ったりもした。今思い返すと警戒心が働いておらず話し過ぎていたが、そこはジャックが純粋に日本の文化と人とのコミュニケーションが好きな人で幸いだった。
シンガポール チャンギ空港に到着してからも、荷物受け取りと出国まで行動を共にしてくれた。入国に必要なカードの記入や電子申請も、私1人では長時間を要し、現地の友人との待ち合わせに遅れていただろう。全部自分で調べて何とかしようとは意気込んでいたが、勝手を知っている人が味方でいてくれたことはどんなに心強かったか。
市街地でそれぞれの用事を済ませた後に、空港でまた落ち合い、遅くまで営業していたレストランでビールを2杯ずつ飲んだ。空港での飲酒は私にとって小さくない出費ではあったが、奢りでないからこそ下心ではないことが感じられてむしろ安心した記憶がある。
メルボルンに到着後、空港を出てからまた連絡を取り合おうと約束をしたが、約束が果たされるかはその時点では不安に思っていた。非日常的な経験下でする約束事は、大体その場限りのことが多い。
あまり期待はせずにいたが、2週間もせずに再度街で会うことに。お互いビールを好むため、ジャックがお勧めするブリュワリーへ行った。
その後も交流は続く。平日仕事終わりにボルダリングをしたり、ミュージカル Wicked を観劇して涙したり、射撃場でライフル射撃の体験をしたりと、メルボルンの多彩な体験を共にしている。私の休みが限られている中で、彼が紹介してくれる日本ではできないアクティビティはとても貴重だ。また、目的地に向かう道中では、彼の仕事についての質問や、私のキャリアについて相談することもあるため、ビジネス周りの単語をインプットする時間にもなっている。
彼曰く、私の年齢が妹さんと同じであるため、応援や手助けをしたくなるのだそう。飛行機の中で初めて話をした際に、拙い英語ながらも自分の夢や人となりを素直に語ったことが、今となっては本当に良かったと思う(繰り返しますが今後は警戒心を身につけます)。
近頃は彼が転職し、私もメインジョブの長時間労働による疲労が溜まっているため1か月以上会えていない。それでも連絡は取り続けているし、インスタで面白い動画があれば共有し合ったりする。
私はあと数ヶ月でビザ延長のためにメルボルンを離れ、郊外へファームやファクトリーの仕事をしに行かなければならない時期になるが、その前に是非必ずジャックとビールを飲みに出かけよう。そして再度メルボルンに戻る際には、たくさんのお土産話を持って彼に会いに行こうと思う。
日本国外で最初にできた友であり、メルボルンの兄であり、コーチのような存在の紹介でした。この記事をお読みいただいた皆様にも、思いがけない素敵な出会いがありますように。
K
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