イケメンのこの俺がおじさんなんかに恋をするはずがない 第2話

 見事な髭を蓄えたおじさんと一緒にコーヒーを飲む隼人。
 女性二人組で来ていた客が、隼人を見て頬を染めながら楽しそうに話している。
 隼人にはよくわかる。あの人イケメンだよね。モデルかな? そんな感じの会話がなされているのだろう。
 二人組の女性たちはいずれも若く美人だった。いつもなら声の一つでもかけているところだが、しかし今はそんなことどうでもいい。女なんてマジで今はどうでもいい。

 二十六歳で、優れている容姿を利用し女子大生のヒモをしながら生きている自分が、なぜかおじさんに一目惚れし、一緒にコーヒーを飲んでいる。初めての体験すぎて、隼人は体がこわばり一言も言葉が出てこなかった。
 そこに最初の行動力と勢いはどこにもない。冷静になったら、これからどうしたらいいのか何一つわからなかった。

「コーヒーおいしいですね」
 悠長にそんなことを言う「けんじ」だが、適当に話を振って沈黙が訪れないようにしているのは明白だった。「けんじ」にとっては、「ルカ」の兄である隼人に本来用などない。
 もっとも写真投稿サイト内のユーザー「ルカ」は隼人が金儲けのために作り出しただけなので存在していないのだが。
 けんじは「ルカ」との出会いが目的でここに来たのだ。本当は隼人と一緒にコーヒーを飲むなど、さっさと切り上げて帰りたいところだろう。

 いや、もしかしたら本当に写真趣味の仲間が欲しいだけかもしれない。それなら隼人にだってつけ入る隙はあるだろう。むしろこのような素敵な紳士の場合、そちらの可能性が高いと言える。隼人はそう考えた。
 しかし隼人自身「けんじ」とどう話したら仲良くなれるか、考えあぐねていた。
 いつも隼人のことを目当てに近づいて来た女性しか相手にしなかったせいか、自分に恋愛感情がない相手を恋に落とすにはどうしたらいいかわからなかった。
 自分に好意のある相手の方が手っ取り早かったからだ。自分から近づくこともあったが、脈がないとわかるとすぐに退いていた。

 隼人はスマートフォンを取り出して、インターネットブラウザを開く。「おじさんの落とし方」……検索。
 ヒットするのは女性が年上の男性を落とすためのテクニック。いらない、そんなのは。二十代の男が六十代のおじさんを落とす方法はないのか。AIにでも聞いてみるか。
「……隼人君は、写真は撮るの?」
 考えていると、けんじに言われた。そんな趣味はない。
「いや、すごいカメラみたいなのは持ってないですね。興味はあるんですけど」
「最初から一眼はハードル高いよね。値段も張るし。妹さん――『ルカ』さんにも勧めたんだけど、七万くらいのコンデジからやってみるのもいいかもね」
 高い。
 七万? 入門で? バブル世代にとっては安いのか? あとコンデジって何だ?
 隼人がよくわからないまま答えずにいると、
「コンパクトデジタルカメラっていう、小型でレンズ一体型のデジタルカメラがあるんだけどね。持ち運びに便利だからもっぱらそちらをメインで使っている人もよくいるよ」
「なるほど」
 買おう。隼人はすぐに決意する。使い方を教えてもらえるかもしれないし、次に会うきっかけにもなる。

 けんじは話を進める。
「僕はこの年で少し恥ずかしいんだけれど、まだ独身でね。時間のあるときに婚活もぼちぼちやっていて」
「はあ、婚活ですか」
 隼人は複雑な心境で相槌を打つ。
「僕としては、相手にはそれほど多くのことは求めていないんだ。心身ともに健康で、趣味が同じで、借金がなくて、何より――」
 けんじは朗らかに笑いながら、理想の相手を夢想している様子で言った。
「大学生くらいの女子を嫁に迎えたいんだけど、成功したためしがないんだよね」
「でしょうね」
 最後のそれは高望みしすぎだろ。年齢考えろ。いや、俺にしろ。
「やっぱり付き合うなら女子大生だよ」
 六十歳前後であるはずのけんじは断言した。そうだろうとは思っていたが、やはり出会い目的でしかなかったらしい。
「そういう観点でいったらルカちゃんは満点だね。肌もまるで別次元みたいにきれいだし。同じ昆虫好きで話も合いそうなんだよね」
 加工してあるからそりゃ別次元のようにきれいだろう。あと昆虫好きな女とかこの世界で一人だっていやしないだろ。隼人は胸中でけんじの意見を一蹴する。
「なのでぜひ今度は来ていただけるよう、よろしくお願いします」
 いきなりけんじに頭を下げられ、隼人は「あ、はい。言っときます」適当に返した。

 自分では見込みがなさすぎる。
 けんじの様子を見ていて、隼人はそう判じた。
 今まで、見込みがない場合はすぐに切ってきた。今回も切るべきだ。
 そもそも、今まで通りの生き方をしていた方が楽である。可能性のない恋を追いかけるなど、自分のやり方ではない。絶対に切るべきだ。
「…………」
 隼人は思案顔で、自分の好みを悠々と語るけんじの声を聴きながらスマホの画面を操作する。
 ヨドバシカメラのインターネットサイト。そこでオリンパスことOM SYSTEMのコンパクトデジタルカメラTG-7を検索し、見つけた。
 隼人からしたら、手軽でおすすめなわけがない値段である。使わないものを買うほど無駄なことはない。
「けんじさん、おすすめって、これですか?」
 検索したものをけんじに見せる。
「そうそう。無理してハイエンドの一眼を買うくらいなら、それがおすすめ。丈夫だしね。あと一緒にメモリーカードを買ってもいいかも」
 けんじは楽しそうに答える。その笑顔を見て、やはり、と隼人は思う。
 見込みがないのはすぐに切って来た。
 それでも、生まれてはじめて、これは、これだけは切りたくないと感じている。

「買いました」
 隼人は購入のボタンを迷いなく押した。
「ええっ、決断が早いね」
「まあ」
 けんじに感心されて、隼人は頷いた。
「最近臨時収入が入ったので少し余裕が」
「それはいいことだね。仕事?」
「ええ、まあ」
 少し後ろめたく感じつつ、それでも隼人は取り繕うために答えた。
「じゃあさ、今度二人で昆虫撮影に行こうよ」
「えっ、いいんですか!?」
 隼人は思わず勢いよく立ち上がった。まさかけんじから提案してきてくれるとは思わなかった。周囲の客が注目したので、隼人は座り直す。
「出会いを探していたのもそうだけど、趣味が合う人もいたらいいなって思っていたんだ。だから、隼人君さえよければ、一緒に行こうよ。撮り方も教えるよ」
 次に会う約束を交わして、隼人とけんじは別れた。

 住まいにしている桃乃の家であるアパートの一室に帰ってくると、隼人はベッドに寝そべって、スマートフォンの注文画面を眺めた。
 思い切って買ってよかった。隼人はカメラの到着日を眺めながら、ベッドをごろごろと転げまわる。
「ただいま」
 夜遅くになると、桃乃が帰って来た。
 今日も化粧が決まっている。切りそろえた黒い長髪はまっすぐでさらさらで、近くに来るといい匂いがした。大学生で、大人相応の色気が混じっている。
「おかえり桃乃」
「はい」
 桃乃は隼人に一万円を渡す。
「あ、ありがとう」
「パパからお小遣いもらったから、おすそわけ」
 女子大生でもある桃乃をけんじに紹介すれば一目で惚れそうだ。たぶんけんじの好みそのままだろう。

 桃乃は隼人に貢ぐためにパパ活もしているので、年上の男の扱いは心得ている。もっとも食事を一緒にしているだけで目ざましく稼いでいるわけではなさそうだが。
「でも、なんでお金くれるんだ?」
「パチンコするんじゃなかったの?」
「そうだったわ」
 桃乃はベッドに転がっている隼人のスマートフォンをちらと見た。注文画面がそのまま映っている。
「えっ、何? カメラ買ったの? パチンコ行きたいんじゃなくて?」
 隼人は慌ててスマートフォンを拾った。
「なんだよ、いいだろ別に」
「なんかきもい」
 いつもと違う行動をしただけでこの言いようである。

「シンプルにひどくねえか」
「べつに。似合わない趣味だなと思って」
「なりすましで写真趣味のおっさんから金だまし取ろうとしてるだけだ。ちゃんと撮ってないと怪しまれるだろうが」
 そのおっさんを好きになってしまったとは言えず、隼人は真実をないまぜにしながら答えた。
「なんだ。それなら納得。やりそう」
「納得すんな。お前のためでもあるんだからな」
 お金を返す気はないが、納得してもらうためにそう言っておいた。
「本当はまともな手段でお金返してほしいけどね。でも私の写真勝手に使わないでよ」
「AIで作ってるからそれはない」
「……晩御飯は?」
「まだ」
「じゃ、作るね」

 桃乃が食事を作り始めると、隼人はふと桃乃のいつもしていることが気になり、
「あのさ、パパと食事するときってなんか気に入られるコツとかあんの?」
 尋ねた。
「胸元が広めの服着て行って、時々胸チラする。気づいていないふりしてね」
「エッチする気ないのにそんなことしてんのか」
「次は口説けるかもしれないって思わせて終わると、また会いたいってよく言われる」
「なるほど」
 けんじにも適用できるかと思って聞いてみたが、参考にならなさそうだった。

 隼人は、目黒駅の改札を出て目黒区に降り立った。
 今日はけんじとの昆虫撮影会が控えている。待ち合わせ時間の三十分前についてしまったので絶賛暇だった。
「しかしなんでまた目黒なんだよ。好きなのか目黒」
 前回は隼人が適当に設定した待ち合わせ場所だった。
 今度はけんじに昆虫の撮影場所を尋ねると、再び目黒を指定されたのだった。こんな都会のど真ん中のどこに昆虫が撮れる場所があるというのか。隼人には見当がつかなかった。

 しかし早く来すぎた。とりあえずスターバックスに入って時間を潰す。
 カメラは手に入れたがよくわからず、充電してからそのまま持ってきた。高いカメラを使ってすることが虫の撮影などとは、趣味の世界というのはよくわからない。
 しばらくして待ち合わせ時間になり、店を出るとけんじがやってきた。
「お待たせ。『ルカ』さんは元気?」
「なんかお腹痛いらしくて」
「それはかわいそうだ。早く良くなるといいね」
 やってきたけんじは、大きなデジタル一眼レフカメラをストラップで首に下げていた。ニコン製「D500」――やや型落ちであるが高性能で最上級のモデルである。
 隼人にとってはプロの写真家しか使わないようなイメージの武骨で大きなカメラだった。似合っているが、まさかその恰好で電車に乗ってきたのだろうか。

「じゃあ、行こうか」
「どこに行くんです?」
「自然教育園だよ。知らないのかい?」
「はい」
「『ルカ』さんは撮影場所が近くにあるのがわかっていて待ち合わせ場所に指定してたと思ったんだけど、何も聞いてないかい?」
「まったく、何も」
 適当に指定した場所に昆虫の撮影スポットがあるなどとは隼人は全く知らない。
 駅から徒歩十分ほどで、そこについた。小さい公園か何かかと思ったが違った。切り取られた山の一部が突如そこに現れたかのような森林地帯の様相だ。

 けんじが自然教育園と呼ぶその場所は、正しくは国立科学博物館付属自然教育園といった。様々な植物があり、そこを拠点に生息する動物たちによって生態系が形成されている。当然そこには昆虫もいる、というわけである。
「山手線で行ける都市のど真ん中にこんなところがあったんですね」
「立派な自然公園だよ。位置的には目黒区じゃなくて港区だけどね」
 隼人は全く知らなかった。東京なんてビルだけしかない所だと思っていた。
 入園料を払って自然教育園へと入っていく。未舗装の道を挟んでヤマブキやコナラやクロマツなどの木々が生い茂っている。
 隼人は早くも挫折しかけた。隼人にとってまったく興味のそそる場所ではない。
 おまけに撮影するのが虫である。けんじと一緒にいられるというメリットがなければすぐにでも帰っているところだ。

 そもそも今は春なので虫など見つけて撮れるのだろうかと言う疑問もあった。
「でも春先だと大した虫もいないんじゃ?」
 隼人が尋ねると、けんじは微笑しながら答えた。
「そんなことはないよ」
 それから何か見つけたかのように雑草に向かってしゃがみ込んだ。
 カメラのレンズを向けて、シャッターを切る。
「なんです?」
「テントウムシ」
 隼人もしゃがみ込んで草むらをよく見ると、ナナホシテントウの成虫が元気よく歩き回っていた。
「冬をじっと耐えて、春になってから活動する虫もいる。テントウムシは成虫のまま越冬するから、こうして暖かくなると姿を見ることができるんだ」
「へえ……」
「越冬するときはたくさんのテントウムシが一か所にまとまるんだけど、いろんな種類でもまとまって冬を越すために協力し合うんだよ。おもしろいよね」
「そうですね」
 何が面白いのかよくわからないが隼人は頷いた。

「カメムシやクビキリギリスなんかも越冬するから、そこも撮影のねらい目だね。蝶は蛹で越冬するし、カマキリの卵も見つけられる。ジャコウアゲハの蛹は特徴的で、個人的に好きだな」
「キリギリスって冬越せるんですか」
 アリとキリギリスの童話のイメージでいたので冬に死ぬものだと思っていた。
 けんじは自分が撮ったテントウムシを隼人に見せる。デジタル一眼レフのモニターには、模様や触覚の質感などもはっきり撮れているテントウムシがいる。
「おお……!」
「結構さ、スマホで撮るよりは感動があるでしょ? そこが魅力なんだよね」

 けんじはカメラのモニターを操作して、プレビュー画面を出して隼人に見せる。
「これは去年、同じ自然教育園で撮った写真」
 見せてもらった写真に、虫は写っていなかった。雑草のアップがあるだけである。
「虫だけじゃなくて草も撮るんですか?」
「いや、よく見てみて」
「?」
 けんじが指さした先に隼人は注目する。草の茎に、泡のようなものがこびりついているのがわかった。
「ここに泡があるでしょ」
「ありますね」
「この中に虫がいるんだよ」
「泡の中に?」
 たしかによく見たら黒っぽい赤っぽいシルエットが見える。シロオビアワフキと呼ばれる昆虫の幼虫だった。シロオビアワフキは泡を分泌してその中に入り自身の身を守る習性がある。
「泡を纏う虫なんているんですか」
「そうそう。面白いでしょ?」
 けんじはさらにプレビューの写真を見せる。

 今度は芋虫、のようなものだった。しかし白くてふわふわした羽毛のようなものが全身に生えている芋虫である。かなり近くで撮っているように見える。なんだかつぶらな瞳をしていてかわいい。
「この白いふわふわしたのは?」
「これはクルミマルハバチの幼虫。かわいいだろ? こいつも越冬するんだよ」
「かわいいのにハチになるんですか」
 虫というのを意識してみたことが今までなかったが――これほどまでに姿が異なりそれぞれが多様な生き方をしているのか。

「隼人君もこのテントウ撮ってみたら? まだ逃げてないし」
「俺もですか」
「なんのためにそのカメラ買ったんだい。シャッターチャンスだよ」
 興味がなかったが、物は試しである。隼人は買ったコンパクトデジタルカメラで撮影を試みる。小さくて、被写体がよくわからない。ただ雑草を撮っているみたいだった。
「もう少し接近できるよ」
「接近、ですか」
「教えるから、やってみて」
「!」
 近づいてきて、カメラ操作を教えてくれるけんじ。隼人は緊張しながらそれを聞いて、うなずく。
 といっても操作はそれほど難しくはない。画面近くのダイヤルを接写用に合わせて、シャッターを切るだけだ。

 隼人はカメラを近づけ動き回るテントウムシが止まったタイミングで撮ってみると、うまくいった。きれいにはっきりと、テントウムシを写真に収めることに成功する。
「…………」
 思いのほかきれいに撮れて、隼人はたしかな達成感に胸を躍らせた。それが自分でも意外だった。ただ虫の写真を撮っただけなのに、これほどまでの手ごたえを感じているなんて自分で思いもよらなかった。
「ナナホシテントウ、ゲットだね!」
 けんじに流行りのゲームみたいな感じで言われた。サムズアップされて、隼人ははにかみながら頷く。

「いや、でもこれ、こんな接近してもすごいきれいに写りますね」
 スマートフォンだとズームして画像が荒くなったり、そもそもピントが合わないような距離である。しっかり被写体にフォーカスされて撮影できている。
「教えてもらいながら撮ったとはいえ、初心者の俺でもこんないい感じに撮れるのか……」
「僕みたいにマクロレンズで接写すればさらにはっきり撮れるよ」
 マクロレンズは小さなものを撮影するマクロ撮影に特化したレンズらしく、規格が合えばレンズを付け替えて装備できるようだ。
「状況によってレンズを付け替えて撮るのも楽しいんだよね」
「へえ……」
 昆虫の撮影など大して期待していなかったが、これを趣味にしている人の気持ちがわかるような気がした。

 思えば、趣味らしい趣味など隼人は持っていなかった。とりあえずその日を楽に暮らせればそれでよかった。無趣味の隼人にとって、ほかの趣味らしい趣味は興味がなく、やってみる気も起きなかった。
 何事も実際にやってみなければわからないものだ。スターライトグラフで新しいアカウントを作り、今日撮影したテントウムシをアップしてもいいかもしれない。
 隼人は持っていたカメラを握りしめる。桃乃には、見せないでおこう。どうせ笑われる。
 また一緒に昆虫の撮影に行きたい。行けるだろうか。隼人はふと考えたとき、桃乃が言っていたことを思い出した。相手に気に入られるように桃乃がやっている所作を。

 隼人は不意にけんじに向き直る。
「けんじさん」
「なんだい?」
「…………」
 ややかがんだ隼人はシャツの首元を引っ張って、けんじに自分の胸元を見せてみる。表情をきりっとさせて決め顔を作る。
「どうしたの?」
「……えっと、えー、日差しがわりと暑いなって」
「ああ、まあ、確かに。でも空気が乾いているから日当たりに出なければまだいいよね」
 知ってた。効果がないことくらい。
 隼人は肩を落として、再び撮影に集中しだした。

第3話



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