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智コーチはなんで怒らないの?

Hola a todos!!

今回は僕が子どもに対して“怒る”ことを基本的にしない理由について考えてみました!

僕は高校生時代に、サッカーの練習中や試合中に毎日のように怒られていました!

それは監督やコーチたちの愛情や期待、そして僕のためを想っての“怒る”という教育(表現)だったと思います!

しかし正直な気持ちとして、その当時はもちろん、今でも感謝の気持ちはないし、自分の考えが変わったこともありません!
(僕はただただサッカーが大好きで、プレーがしたかった)


だから僕は子どもたちに怒りたくないと考えています!


怒られることで身についたことの1つは、「逃げること」や「隠れること」で「バレなければオッケー」という思考です!

怒る人がいない時はサボるし、誰も見ていなかったら(バレなかったら)やらなくていいやんという思考が身につきました!

高校生時代は毎日サッカーに明け暮れ、遅刻はないし挨拶を欠かしたことはなかった(挨拶だけの練習もあった)けど、高校を卒業するとサッカー部仲間はほとんどサッカーから離れ、フットサルや同窓会の連絡をしても返信もない状態に、、、

みんな縛りから解放されて、今まで出来ていたことが出来なくなっていました!

みんな挨拶や遅刻しないこと、大好きなサッカーまでも“怒られるから”やっていたということ!

サッカーって、、、、教育って、、、、【ホンマにこれで良いの?】


こういった疑問を持ち始め、今の考えに至り、強く意識するようになったキッカケは、自らが体験してきた指導に対する、ある種“怒り”のようなものでした!

「人間教育」「仲間のために」「全国大会のために」「サッカーだけにかけろ」「規律」「団結」「絆」・・・

耳当たりの良い言葉で子どもたちの意思や想い、そして人権を無視したあげく、暴力を振りかざす・・・

「連帯責任」などの理論をふりかざし、少数派や異端なものを排除するコミュニティ。

僕が体験したサッカー部では、いつも大人による支配が行き渡っていました。

その環境で“楽しさ”と“成長”を感じることはありませんでした!

そして根本的な部分では、20年経った今もあまり変わっていない感覚があります!



僕は毎日のように怒られ罵声を浴びせられていました!

「オカマ」と呼ばれ「家帰ってリカちゃん人形で遊んどけ」となじられ・・・

彼女がいることで「3年間くらいはサッカーにかけろ」と呼び出して怒られ、遊びや恋愛も出来ない環境でした!

しかし、なぜ怒られているのかは(今でも)理解できていません!

その行為に、その時間にどのような意味があるのか?!

【本当の厳しさとは何か?】

【子どもたちに必要な力(環境)は何なのか?】

指導者(大人)を恐れて従順に振る舞うだけの人(選手)を育てるより、自分のことは自分で決められる自律した人(選手)を育てることが使命だと思い、僕は高圧的な言葉で支配するのではなく、対話を重視しています!

そしてサッカーのことはもちろん、教育のこと、子どものこと、社会のこと、世界のことを学んでいます!
#子どもが尊重される社会を創る
#子どもたちの未来のために

まだまだ至らない部分ばかりですが、学ぶことを辞めず、子どもたちが自分らしく人生を送り、サッカーを心から楽しめる環境を創るために活動をしていきたいと思います!

自分が経験してきたからこそ、伝えれることがあると思っています!


子どもたちとの関わりの中では、結果として見えるのは“今”ではなく“未来”なので、子どもたちや保護者の皆さんには伝わりにくい部分ですが・・・


伝え続けていきたいですし、自分自身も固定概念に縛られることなく柔軟に、そして学びを続けていきたいと思います!


最後まで読んでくださってありがとうございました!


それでは、Hasta luego!!


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