見出し画像

湖北・揖斐の近畿式アクセント①~2拍名詞アクセント

1.はじめに

 2023年より滋賀岐阜県境の伊吹山麓周辺において方言調査を行っている。調査した77地点をカシミール3Dで作成した地形図に示すと図1のようである。近畿式アクセントは赤色、内輪式は青色、垂井式は空色で示した。滋賀県湖北から岐阜県揖斐にかけては近畿式が分布している。本論では、これら近畿式アクセント地域の2拍名詞アクセントについてみていくことにしたい。

図1 湖北・揖斐の近畿式アクセント地点

2.各地の近畿式アクセント

 湖北・揖斐の近畿式アクセント地域を、次の3地域に分類した。
 1)滋賀県・旧伊香郡~木之本・西野・金居原
 2)滋賀県・旧東浅井郡~甲津原・甲賀・吉槻・野瀬
 3)岐阜県・揖斐郡~徳山・広瀬・坂本・諸家
 地域ごとに、各地のアクセント型の特徴をみていくことにする。調査項目は、前稿「垂井式アクセントとは何か①」と同様である。

2.1 旧伊香郡

 旧伊香郡3地点、および彦根の調査結果をまとめると、表1のようである。彦根や大垣(内輪式)と比較対照するためアクセント型を表1下の〈凡例〉のように類別した。eは、結合語のアクセント型が彦根とは異なることを、fは高起低起の区別に混乱がみられることを示している。

表1 彦根と旧伊香郡における2拍名詞アクセント型

 表1より次の点が指摘できる。
① Ⅴ類の拍内下降は、単独形を除いて消滅している。この事象は、垂井式アクセントと直接接する米原や西円寺でも確認できた。
② -ミタイ・-デス接続の結合語アクセントは、彦根と異なる。彦根は京都と同様、付属語アクセントは独立型であるのに対し、3地点はいずれも自立語支配型・従属である。
・彦根
  [トリ-デス、[イ]シ-[デス、マツ-[デス、サ[ル⤵-[デス
・木之本
  [トリ-デ]ス、[イ]シ-デス、マツ-デ[ス、サ[ル]-デス
③ 西野のⅤ類で一項目だけ内輪式の型がみられた。後述するが、湖北の中心地・長浜方言の影響であろう。

2.2 旧東浅井郡

 甲津原・甲賀・吉槻・野瀬の4地点の調査結果をまとめると、表2のようである。

表1 旧東浅井郡における2拍名詞アクセント型

 表2より、次の点が指摘できる。
① 甲津原と野瀬は、Ⅴ類の単独形のみに拍内下降がみられるが、垂井式アクセント地帯により近い吉槻と甲賀では拍内下降が消滅している。
② -ミタイ・-デス接続の結合語アクセントは、旧伊香郡と同様、自立語支配型・従属である。
③ 野瀬ではⅤ類の2項目に内輪式の型が、吉槻と甲賀ではⅡ類の4~5項目に内輪式の型がみられる。いずれも、Ⅱ・Ⅴ類が内輪式と同じアクセント型である長浜方言の影響と考えられる。
④ 吉槻と甲賀では、Ⅳ・Ⅴ類において高起低起の区別の混乱がみられ、低起式の語が高起式で発音されている。この事象は、湖北平野南部で垂井式アクセントと接する米原や西円寺でも確認できた。

2.3 揖斐郡

 京阪から続く近畿式アクセント地帯の東端が岐阜県揖斐郡の旧坂内村・旧徳山村である。諸家・坂本・広瀬・徳山の調査結果をまとめると、表3のようである。

表3 揖斐郡における2拍名詞アクセント型

 表3より、次の点が指摘できる。
① 諸家・坂本・徳山では、Ⅴ類の単独形のみに拍内下降がみられるが、坂本では拍内下降が消滅している。
② -ミタイ・-デス接続の結合語アクセントは、滋賀県側と同様、自立語支配型・従属である。Ⅳ類にも自立語支配型・従属がみられるのは、旧東浅井郡の甲津原・野瀬と同様である。
③ 諸家・広瀬・徳山では、Ⅳ・Ⅴ類に内輪式の型がみられる。美濃平野部の大垣方言の影響と考えられる。

 最後に、旧坂内村の川上の調査結果(表4)をみておきたい。他地点との大きな差異は、Ⅴ類が完全に内輪式と一致する点である。他地点の話者が戦前生まれであるのに対し、川上の話者は昭和27年生まれとお若いこと、高校在籍時に下宿した大垣で内輪式の影響を大きく受けた可能性が考えられる。

表4 川上における2拍名詞アクセント型

3.まとめ

 2拍名詞の単独形のみをみていると、伝統的な近畿式アクセントを保持しているように錯覚するが、結合語アクセントをみてみると、実は地域の中心地(長浜・大垣)の方言の影響を大きく受けていることがわかる。村内で言語形成期を過ごした戦前とは大きく生活スタイルが変化し、高度成長期以降は高校進学と同時に長浜や大垣に下宿し都市の方言の影響を受けざるを得ない時代へと推移していったという話は、滋賀県側でも岐阜県側でもよくお聞きした。
 揖斐郡北部のアクセント調査は、古くは奥村(1962)・山口(1989)により実施されている。山口論文からすでに35年が経過し、徳山村は廃村となり、当域の調査を行うにはあまりにも遅すぎたと痛感している。本論が伝統的な近畿式アクセントの記録というよりも、当域のアクセントが都市の影響を受けつつどのように変化しているのかという動態調査になってしまった感があるのも、時代の流れかと感じている。

【参考文献】
奥村三雄(1962)「西濃揖斐郡北部のアクセント」(岐阜大学学芸学部研究報告『人文科学』11)

山口幸洋(1989)「岐阜県下のアクセント(3)」『名古屋・方言研究会会報』6



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?