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有の肩を持つ生き方

お金は無いより有ったほうが良い。命は無いより有った方が良い。にも関わらず、命は有限で、限りが有る。不死を望んでも、それを許さない。だから失ってはまた取り戻す、イタチごっことなる。そうなると細切れの有限な生を繋ぎ合わせて、擬似的不死と見做すしかない。存在とは、有と無の往来もしくは無限循環である。素粒子の明滅と言ってもよい。宇宙は、空間であって時間では無い。だが無時間は、静止画に過ぎず、死を意味する可能性がある。宇宙は生きている為に「動く」必要がある。だから生命とは、躍動たらねばならない。宇宙は膨張しない事には、死んでいると見做されてしまう。我思う故に我有り。それは本当だろうか。それを本当だろうと思い込むことで、存在者たちの生存が成立する。存在して無くても思考ぐらい出来る、そう言い切るのは難しいから、人間を含めた全存在は、有に肩入れして生きていく。だが有は、対極に必ず無を想定せざるを得ない。対極にある無の広大無辺な世界を、人間は知らない。無いより有った方がいいでしょと言いながら、自身の生の切断面へと向かう。無い方が良かったと言ってしまうと、存在者として負けな気がしてしまうのである。


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