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自分と言う名の病(やまい)

第一章 「病名に騙(だま)される」

ある症状に対して誰かが病名をつける。それが最適であったなら文句はない。だが往々にして不適切かつ的外れだったりする。そのせいで人々は長年苦しむ事になる。

植物だって誰かに変な名前を付けられる。例えば、オオイヌノフグリ、フグリってワンちゃんの陰囊(いんのう)ですよ、女子小学生にイヌノフグリを観察させられますか?

花粉症だってそうです。花粉症と名付けるから花粉が原因と誤解させる。鼻炎と言うから鼻の病気と思い込む。つまり鼻に表れる症状は症状であって原因を示唆しない。花粉症の原因は恐らく腸にある。でもそう言われてもピンと来ないはずです。つまり花粉のせいで花粉症になったと百人が百人誤解してしまうネーミングなのである。

そうでは無くて、リーキーガットのせいで貴方は鼻水が出るんです。えーっ、そんな馬鹿なと成りますわな。小麦のせいなんです。と言っても信じないでしょ。説明がややこしくなってきて、聞く方の理解力も無くて結局納得できぬまま放置となる。実は小麦グルテンのせいなんです。貴方のアレルギー体質は。
食品メーカーが総力を上げた結果こうなった。加工食品の大半に小麦を混入させた。正確には、小麦グルテンに、砂糖に、カゼイン、ショートニング、マーガリン等である。これらが国民の大半をアレルギー体質にした。より正確にはもっともっと複雑になっていきます。プロテインの摂取も絡んで来ます。

第二章 「病める自分、病める社会」

人は失恋しただけで、うつ病になれるし、自殺だって出来る。自分と言う存在に、自分はどう言った感情を抱き、どう言った価値観の下に、自分を裁くのだろうか?

それらの集大成の総体として、自己否定感、自己嫌悪、自己処罰感、罪悪感、自責の念、無力感、無能感、数え上げたら切りが無い病根が根を張り、もはや根絶は不可能に思えて来ます。

それらストレスから過食に走り糖尿病になったり、反対に拒食症になったりもう手がつけられません。

現代人は自販機で炭酸飲料を買い続け当然の如く糖尿病になる。糖度の高い果物しか食べなくなり免疫力が低下する。家畜にホルモン剤と抗生物質を与え、その肉を人間に食べさせ病院通いにさせる。狂った社会がここに在る。

生物界は弱肉強食の生存競争をしています。だから、人間も生存競争や出世競争に明け暮れ、ライバル会社を潰しても犯罪では無いし、罪悪感も感じません。狂っていますね。

さて、狂った自分や狂った社会を自力で何とか出来る人は数%以下でしょう。

愛無き世界に生きて、自分だけは愛ある自分になれる、貴方にその自信は在りますか?

自分が今感じている感情が無能感や無気力感、無力感だったとして、それをどうすれば修復できるのだろか?

もしも自分が自己修復型の人工知能だったとしたら何処から手を着けるだろうか?

第三章 「自己修復型の自分」

罪悪感から来る自己処罰感は、「自分を許してあげる」と良い。それは言い換えれば、「あの人だけは許せない」と憤慨する自分を赦してあげる、それはあの人も自分も両方とも「赦してあげる」詰りは「愛してあげる」ことで傷口は治癒されて行きます。

周囲を見渡して、過去を思い出してみて、許せない人や物が一切無くなった時、貴方の心は重荷を降ろして大変軽やかに生きて行けます。

つまり、「あの人許せない」と言う拘泥と執着心が実は「自分の心の重荷」だったのです。これが原因不明の難病のもとだったりします。言い換えると、怒りとか憤慨とか憎しみって「拘(こだわ)り」であり「凝(しこ)り」だから、身体は凝るししこるから結果血行不良になりガン細胞を増殖させたりします。自分の身体が病むには理由が有るのです。

許せないあの人を赦してあげる、許せない前世の自分ももう許してあげる。そうしたら、自分を愛せるようになって、自分を信じるようになれます。

「罪を憎んで人を憎まず」、これを納得できない人は多い。悪人は許せない、だから「成敗しなくちゃ」、そう言った発想から人類はついぞ脱却できないでいる、それが現状です。

許せないから「愛せない。」愛せないからやっつけるしかない。戦争しかない。そう言う論理に陥ります。

解っちゃいるけど、止められない。つまり、判ったつもりで堂々めぐりを繰り返し数万年経ってしまいました。

人間には自分を愛するのは、はやり無理なんでしょうか?これは小説の題材にもってこいです。

だから先ずは自己嫌悪や自己否定感を改める為に「自己中」で行くのが良い。自分大好き人間になる訳です。

自分の時間を持つ。詰りは趣味を持つ。個室を貰う。自室に籠もり趣味に没頭する。

自分のやりたい事が見つからない。それは、他人本位に生きて来たからです。娯楽を他人に提供されて、偽りの楽しさに甘んじて来たからです。

第4章 「ありのままの自分とは」

自己否定感によって、本当の自分を見失ったので、「ありのままの自分」って一体何ですかとなります。

他人本位でない本当の自分ってどんな自分でしょうか?本当の自分と出会う、本当の自分を見つけ出す。それは可能でしょうか?一体どうやって?

だから、自分の時間を作る、無理やり創り出す。それは子供を車内に放置してパチンコに熱中することでは有りません。「他人に迷惑を掛けない自己中」を実践する。「愛の不足と欠如」が現代社会の特徴です。戦争で殺し合えるに為には、「愛の欠如」が大前提なのです。




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