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丸かじりの季節、「食の起源」について

第一章 「食の起源」

そもそも「食べる」と言う行為は一体誰が始めたのだろうか?

旧約聖書では「善悪知るの木の実」を食べるなとか意味不明なことが書いてある。

食の最初は空腹感を覚えたからであろう。それで取り敢えず何でも口に入れてみた。石とか砂とか木を噛じってみた。空腹感と言うが「飢餓の感覚」であろう。自分が存在として、今此処で「充足感」や「満足感」を感じられない。言い換えれば、不足感や欠如感を覚えたのである。この「自己の欠如感覚」こそが、その後の生存競争すなわち互いに「食い殺し合う生物界」即ち餓鬼コースと畜生道コースをもたらした。

意識は此の世に人間として産まれて来ると「自分を人間と思い込み」、ライオンに産まれて来ると自分はライオンなんだと思い込み、決して自分は「意識体」なのだとは気づかない。餓鬼とは何故「飢えた鬼」か解りますか?人間では無くて「鬼」なんです。人間は愛情の萌芽が芽生えつつあるが、まだ萌芽であって完全では無い。だから極限状況に於いては人間でなく鬼として行動してしまう。戦争中に食べる物が無くて、空腹感がマックスの時、傍にいる戦死者の肉片をつい口に入れてしまうのはそのためである。ゴキブリも腹が減れば仲間の死体をムシャムシャ食べ始める。つまり食べるとはその行為の根本に「最初から罪が内包されている。」「共食い」は生物界では時折見られる、猿人や原始人、武将なんかでもそれは為されたかもしれない。あなたが首狩り族に食べられたとしても、今まで牛や豚やアルパカを美味しい美味しいと散々食べて来たのだから文句は言えません。

さて、これから食はどうなって行くのだろうか?食と言う行為から「罪深さ」を拭い去るため、当面は「人工肉」でお茶を濁すことになりそうです。

人間は物質を食べ、植物は「光を食べる」、その点において植物は人間よりハイレベルです。

未来社会ではまずは3Dプリンターで人工肉や人工オムライスをチンして食べ、そのうちキノコしか食べなくなり、もう「食べなくてもいいや」と言い始めるだろう。これが「食の終焉」である。そう言う訳で、今の内に肉食べたい魚が美味しいと味覚や食欲をせいぜい満喫しておきましょう。敵の大将を捕らえたから、今日はご馳走だとか、ついでにサルの脳みそや熊の手も用意しておきましょう。美味ですよ。

「食の起源」の考察は、食欲の起源とその終焉を探る手掛りとなるかもしれない。

食べたいから食べる。食べたいだけ食べてメタボになる。もしも大気を食べるだけで生きていけるなら、メタボにはなれないはずです。人間にはなぜ窒素固定が出来ないのだろうか?それは根粒菌を体内に摂り込まないからです。人間はなぜ光合成をしないのでしょうか?光を食べても味覚は歓べないからでしょうか?

第ニ章 「食と健康」

食の善し悪しで、健康にも病気にもなる。それで、何が健康にいいのか?色んな意見があってどれが正しいと一概に言えません。それであれこれ試して見ます。

人生は長いから、チョコレート中毒になって見たり、小麦アレルギーになったりしながら、自分に最適な食を探り当てるしか有りません。

私は最近、小麦アレルギーが花粉症の真の原因かもと言う珍説を信じ始めた。それでカレーのルーも小麦が入っているので買うのを辞めました。

そして暑いのでビールを飲んだら身体が痒くなって、ビールアレルギーかもしれないと疑い始めた。今まで何十年もビールを呑んできて、今頃急にビールアレルギーってそんな事有り得るのかなあ。小麦が高騰する前に、自分の体細胞が「小麦断ち」を先行させて行きます。

乳酸菌やヨーグルトは身体にいい。巷ではそう言われているます。が、カゼインリスクはどうなんでしょうか?こうなって来ると食べる物が本当に限られて来ます。「不食」を目指しますか?

そう言う訳で、「加工食品の排除」が私の最近のマイブームです。その結果、「素材の丸かじり」がマイテーマになっています。ドレッシングも加工品なので使いません。

キュウリやトマトは生を丸かじりしても何の問題もない。ところが先日、「生のニンニクひと欠片」を丸かじりしてみたら、これがあまりに辛かった。私はこの辛さに耐えられません。ニンニクってこんなに辛い食べ物だったのかと産まれて初めて気づきました。またその量が多過ぎるとお腹を下だすのだと知りました。そもそも生のニンニクは健康にいいんでしょうか?医者によっては、肺がんリスクを軽減すると主張する人もいます。まあチョコバーを噛じるよりは健康的なんでしょう。またピーマンの丸噛じりもイケます。子供の頃はピーマンが嫌いだったなあ。それが今では丸ごとかぶり付いて、その食感を嬉しんでいます。人間は変わって行くから面白いのです。

第三章 「病気と健康の二者択一」

例えば対立概念として、病気と健康の二つがあるとします。80億の人間の内、その多くは病気と健康の二者択一局面で、必ず「病気を選択します」、それは何故でしょうか?

私のせいで、こんな事になってしまった。その罪悪感、失敗感、自己処罰感が自分を病気にしてくれます。

そう言う場合の解決策を人は知りません。自分を「許してあげればいい」んです。そうすると病気はいつの間にか消失します。そして「あれガン細胞が消えてます」と医者が不思議がります。

そもそも病気と言うものに「原因は存在しません。」でも人間は、一生懸命原因を追求し探求して迷路に潜り込みます。

加工食品の添加物が原因かもとか疑い始めます。まあ添加物は摂らないに越したことはないし、そう言う意味で、「素材の丸噛じり」はイケてます。



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