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単に場面転換としての来世

秦の始皇帝は不死の妙薬を求めて徐福を日本に遣わした。
彼は生前水銀を不死の妙薬と考えていた。水銀が身体に良くないと判ったのはつい最近の事である。

人生はサバイバルゲームだと言う人がいる。そう言う人は「死んだら終わりだ」と思い込んでいる。
死んだらまた次の来世が待っているとは考えない。

生物界の生存競争とは食うか喰われるかの熾烈な闘いである。で、喰われたイワシは敗者で、食った大魚が勝者と思いがちだが、どうせその大魚もすぐに喰われて居なくなる。つまり勝者なんて居ない。生物界において全員が敗者なのである。どの道皆んな死ぬからである。

つまり自身の来世を悟った者だけが勝者である。
喰われるや否やイワシは、さて次はどんな人生がいいかなと薔薇色の来世を夢想し始める。

死んだらお仕舞。それはそう考えるからお仕舞なのである。其処が来世の始まりと考えられる霊魂のみが真の勝者だったのである。

不死とは単に考え方だったのである。

人間はこの世で百年前後生きたところで46億才の地球には勝てない。小刻みに人生を10万回くらい繰り返して帳尻を合わせるしかない。

絶世の美女の楊貴妃は日本の地で息を引き取った。月や火星で死ぬのは絶世の美女じゃない。宇宙空間で絶命したら宇宙の塵になるのだろうか。樹木葬とか宇宙葬、色々あるが生まれ変われる人にとってはさして重要ではない。

不老不死の方法は無数にある。つまり考えつく限りの不死のパターンが存在する。転生してもいいし解脱してもいい。もっとも唯物論者は不死に至れないけど。

宗教は魂を救えない。科学は人類を救えない。イデオロギーは?

二重螺旋構造は地獄への螺旋階段なんでしょうか?

私泳げないので三途の川は渡れません?

千年王国は千年経ったら崩壊しますか?

持続可能なのは霊魂だけであって社会ではありません。社会や国家は常に諸行無常の短命さを運命づけられている。社会や国家は宇宙の「基本単位」ではないからである。

サバイバルゲームの勝者はあなたですか?それとも私?塩基配列に相談だ。

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