人間は何を知りうるのか?
人間に与えられた知能もしくは知性は、知能指数として100~200程度でしかない。この知性のレベルでは専門家として専門分野に特化限定して一生を終えたとしても、専門外の事は全くの門外漢で無知蒙昧レベルに留まる。数千年かけて蓄積された人類知識の総量は、百科事典に集約されているが、自分という一個人が実際に身に着けうる知識や情報の総量は、忘却や物忘れ、失念を考慮すれば、驚くほど少ない。コンピュータにデータを蓄積していくのは、サーバーを増設すれば済むが、人間が自身の頭に知識を詰め込むのは、根気や苦痛を伴う。つまり、人間という生き物の頭に詰め込める知識量は自ずと限界がある。ましてどうでもいい、無価値な、無意味情報に脳みそを占有させていたら、有用な知識が入り込む隙間が無くなってしまう。そう言う訳で、人間は迷信や妄念や勘違いやフェイク情報、科学的という名の非科学性によって、人類に「真実」など必要ないと結論できる。もちろん「正論」も要らない。たかだか100か200の知能指数で、たかだか100年しか生きない下等生物が、万物の霊長とかジョークでしかない。亀甲より年の功、それが真実だとして、長寿が痴呆を不可避としない場合、本当の意味で知性を有するとは、全知に近づくしかなく、脳の容積から言っても寿命は10万年程度必要であろう。つまり現状では、人間に「知恵や賢さ」を期待するのは酷である。
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