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終わりなき旅、アルファからオメガへ

この世とは、ネガティブ人類たちがその潜在意識と顕在意識によって吐き出した汚物或いは排泄物と言うことも出来る。

この汚物もしくは排泄物に取り囲まれて、人は全てを先入観無しにゼロから、無から創造する事が難しい。つい過去の経験則から物事を考えてしまい毎瞬毎瞬自身を創作してはいない。

情報の洪水に押し流され、惰性としてのこの世で、出来合いの遺伝子情報で、人間と言う経験則としての過去を繰り返して、なかなか「無からの創造」にならない。だから現実世界がネガティブなら、ネガティブを継承し存続させてしまう。周囲を360度ネガティブに取り囲まれながら、そのネガティブを一切無視して、ポジティブを日々創造していくにはかなりの熟練を必要とする。

この三次元物理空間とは何か?結論を言ってしまうと、苦難と労苦の星、行動とプロセスの星、コントラストと2極性の星、言い換えると、願いの叶いにくい時空と言うことも出来る。

人生はプロセスであるから、人はその始めと終わりを識らない。人間に解るのは途中経過としての自分だけである。気づいたら自分は今ここで人間を演っている。

だが実は、人はこの世に産まれて来る際、自分の身体や姿形をデザインする。髪の毛は黒で身長は中くらいとか。

それゆえ悟るとは、始めと終わりに熟知すること、言い換えれば、世界や人類や自分の「生と滅」に精通することである。被造物では何故駄目なのかと言うと、創造を神様と言う他人に任せる「他人任せの無責任人生」になるからである。

さて、この三次元物理空間は行動の星だから労苦とプロセスを必要とする。重荷を背負い、汗水垂らし奴隷労働や兵士を演るに適した環境であり、被害者と犠牲者を不可欠とする。

自分が被害者にも犠牲者にもならない為には、三次元を超えた「超越者」としての人生、詰りは神生を選択しないといけない。五次元人は行動の星を卒業して、「思念の星」すなわち「思えば即叶う時空間」に移住する。

どんな生き方がしたいのか?それは各人の自由である。被害者になってみたい、犠牲者になったらどんな気分なのか?人生経験としてスナイパーに脳みそを吹き飛ばされてみたい。そう言う人生も勿論有りです。でも飛んでくる弾丸をひょいと避(よ)ける人生も有りでしょう。

泣いたり喚(わめ)いたり人生は忙しい。人生を甘く見ているのだろうか?被害者や犠牲者を卒業するのに、あとどれ位の年月が必要なのか?それは各人の個人差、マイペースに任せましょう。

人類が滅亡し、世界が消滅したとしても、それはトリビアルな出来事に過ぎない。大事なことは、自分と言う意識の意識状態をどうするかである。

地獄の住人は、自ら好んで赴くのでは無く、地獄には本当は行きたく無いんだけど行かされると言う「受動的感覚」を抱く。一方、天界の住人は天国を自ら創造する能動的態度を特徴とする。人間は能動的態度を欠くゆえに、天に住めないのだと言うことも出来る。

2極性とは何でしょうか?この世は二元論で出来ていると言いたいのでは無く、人間は便宜上対立する2つの概念を対比させる思考パターンを選択したと言うことです。そして地球に住む人類はこの数千年間総じてネガティブの方ばかり選択して生きて来た。

善と悪、裕福と貧困、平和と戦乱、健康と病気、肯定と否定と言った対立概念が有った際必ず後者を選択してしまう。幸福より不幸を選ぶのである。

こうした錯誤人生をこの先も続けたい人々と、もう私はネガティブを卒業しますと言う人たちに分かれて来た。

私はポジティブを選択する人たちにその詳細を解説したい。何しろ慣れてないのでまだ習慣化出来ていない。だから、直ぐにネガティブに戻ってしまう。

他人を否定しないし、世界にダメ出ししない、まして自分を自己否定しない、それは出来そうでやってみると案外難しい。必ず否定が混入して来る。

まあ気長に自己改革していくしかない。人生は冒険である。人間は地球に冒険をしに来た。不幸や悲惨を味わいたくて地球にやって来たのではない。

病気で無く健康を選ぶ。簡単そうに見えてこれが中々難しい。「難しい」と言うのを止めて、「簡単」と言うのを習慣化する。やはり、簡単じゃないか。



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