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人生とは道草である

格好つけて人生とは旅であると言いたい処だが、格好悪くてお尻掻きながら道草を食ってしまいましたと言うのが実情である。
私は悟る為にこの世に生まれて来た。
だけどあちこち遠回りして道草食ってる内に人生は終了し、続きは来世でと相成りました。言い訳がましい一生でした。それが現実であろう。

一直線で天国に直行直帰したら何か申し訳ないから、一旦地獄を迂回して人生にメリハリをつけたい。
ミイラ取りがミイラになったみたいな、虻蜂取らずみたいな、
自由を求めて一度奴隷に成り下がるみたいな、面倒くさいルートを辿ってみる。
分刻みのスケジュールにはストレスしか無い。
そこへ行くと道草を喰む自由が何だかとてつもない自由に思えてくる。
時間を忘れ我を忘れて人生を謳歌しているのである。
旅がらすはなぜ旅がしたいのか。
自分でも分かってないのだろう。

人生の目的とか使命とか自己実現とか理念とか掲げて見るのも悪くない。

道草食ってる暇なんか無い。
そういう余裕の無い生き方はいかがなものか。
余裕が無いから人生が苦痛になって来る。
追い詰められたり、急き立てられたり、鞭で叩かれたりする人生は出来れば卒業したい。

道草を喰む自由こそが生き物に与えられた至上の悦楽なのかもしれない。


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