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生活習慣として「今、ここに」居る

貴方が今この文章を読んでいると云うことは、自分を3次元空間にワープさせたのである。

ではどうして5次元空間では無いのだろうか?

自分とは意識であって、その意識体が肉体身体に乗り込み操縦している。言い換えるとガンダムと同じである。自分の身体がなぜ動くかと言うと、チャクラと言うエネルギー体すなわち回転している数個のUFOを巧みに操るからである。

人間が主に3次元に飛来し、5次元に頻繁に出現しない理由は、自分と言う意識体の発する想い、その発言、その行為が総体として3次元的で、5次元的でないからである。人間は「愛してるよ。」と口で言っても心の中はそうじゃ無かったりする。「好き」と言ってその一秒後に「嫌い」と言ったりする。で結局どっちなのと言う事になる。自分と言う意識体の信念の総体が重々しいか軽やかかで、其処が地獄だったり天国だったり、3次元だったり5次元だったりする。人間は自分たちを被造物と教え込まれたので、創造主としての自由な軽やかさを習得出来ていない。つまり高く遠くまで飛翔出来ない。それが3次元意識体の重苦しさに他ならない。重さと軽さの違いとは、重力とか体重の差では無くて、自由度すなわち束縛の少なさ、執着心の少なさ言い換えれば頑迷さの度合いの少なさである。逆に言えば、3次元人はエゴの頑迷さで凝り固まって、それが時空の飛翔力を阻害している。人間の口から時折「恨めしや、恨み晴らさでおくものか」とか「あの人は許せない」といった発言が為されるのはその典型例である。

生活習慣として食うか食われるかの生存競争を繰り広げているといつパクっと喰われないか何時もビクビクして生きている。其処には天界の安らぎが無い。また修羅世界では永遠に戦争ばかりしている。だから、それらの意識体は「平安という心の状態」を創り出せなくなっている。

ゴキブリを見た瞬間「ギャー」と絶叫する母親を見て、その娘もギャーと叫ぶ条件反射が神経回路に形成され、それが生活習慣化しついには遺伝子DNAに刻印されて、もはやそれ以外の条件反射的行動は取れなくなってしまう。飛べなくなった鳥は、その分走るのが異常に疾かったりする。人間とは5次元空間を自在に飛べなくなった鳥である。そしてそれは体重の重さのせいでは無くて、意識体の発する想いの重々しさ、つまり自分は5次元を自在に飛び回れないダメ人間ですと言うレッテルを自身が貼ったのである。

私には5次元は翔べません、だから3次元の地上を這い回り歩き廻る意識体でいいですと自己申告したのである。

そう言う訳で、もう一度5次元空間を自在に飛翔する悦びを手に入れたいのであれば、翔ぶ練習をリハビリとして始める必要がある。肉体身体のリハビリでは無くて、自身の意識体としてのリハビリが必須となる。つまり「私には翔べません。」を「私にも翔べる」へと意識改革する必要がある。それが被造物から創造主へのパラダイムシフトであり、「自己否定感から自己肯定感へ」のシフトチェンジである。

意識体はナノ秒単位で、3次元、5次元、天国、地獄とワープを無限に繰り返し、それをマクロ的に俯瞰すれば、あの人の意識体は概ね3次元に点在分布し、その意識体の発する想いや発言や行為によってナノ秒ごとに自身を取り巻く時空を無限回数創造し続けるのである。

だから自分は元来どの時空に出現してもいいのである。にも関わらず、地獄や3次元に出現しては、苦しい辛いとあえぐのは「自身の自己否定の度合い」であると「気づき悟る」ことが出来ないためであり、悟るまで何万年何億光年かけてもそれは当人の自由なのである。

堕落天使を真似て、堕落人間になる人もいる。進化に逆行して「私は退化してみたい」と言う意識体も有っていい。だがその結果、苦しむのは当人であって他の誰でもない。3次元から5次元に移行するのに四苦八苦しているのが、人間人類の偽らざる現状である。

何万年も掛かって身についた「翔べない鳥としての生活習慣」は一朝一夕には治せない。自己否定が正に生活習慣化し、条件反射的に神経回路に形成され、「私にも翔べそうだ」と言う想いすら、産まれて一度も「発してみた」ことが無いのである。これは超人的超能力を開花させる訓練に励みましょうと言うのでは無くて、自分の内に有る「自己否定の総体」を把握し、その減少を日々の朝練で続けていれば自然に気づいたら5次元まで軽々翔べる自分になっていると言う話である。個々人の重々しさ、人類の総体としての重々しさ、人類から神人類へのシフトチェンジ、それは時間と年月を掛けてもいいし、ササッと片付けてもいい。どうでなければならないと言う決まりは無い。

私は3次元から5次元に移住してみたいと言う人がいたら、それは「思い立ったが吉日」、今直ちにリハビリを開始したらいい。自己を否定したい自分ばかり出現して呆れるかもしれないが、この3次元空間は、自己を否定したい意識体の屯(たむろ)するネガティブワールドなんです。だから今日もネガティブ発言を繰り返し、人生の四苦や八苦を存分に味わって下さいませ。そして自己否定し尽くして自己否定に飽きて来たら、もう3次元は飽きたから5次元に移住して自己肯定感を満喫したらいい。何処に行ったって体験型の時空は、あなた自身が自身にピッタリの世界を創造してくれます。出されたメニューを見て、あなたは「今日は全知全能下さい」「私は半知半能をお願いします」「俺は無知無能になってみるか」と各意識体は自分の今の気分に合わせてメニューを選び、その時空の重さや軽さ、辛さや悦びを体験して愉しむ。この次産まれる時は、大腸がんになって人生の苦難を味わってみたい。そうなの?私は美人の天女とデートしたいな。知能指数十万でお願いします。人間でもやってみるか?いやー、大変ですよ、止したほうがいいんじゃ無い?いやもう天国も飽きたし、人間やってみますわ。空を翔べませんけどいいんですね。病気になったりしますけどいいんですね?そういう訳であなたは、この3次元空間に出現した。そして5次元にワープする方法をスッカリ忘れた。其れはそれでたいそう辛いです。

人はこの世にオギャーと産まれた時から、三次元空間に適応しようと必死になる。楽しもうとやって来たのに、結果的に苦しみもがき死んでいく。

楽しめる余裕がない。三次元空間ってストレスフルなんです。ストレスフルな世の中をストレスフリーに生きるには、処世術や強力な人生哲学が必要で、万人にそれを望むのは無理がある。

天国も地獄も、単に意識体の状態性に過ぎない。三次元も五次元もただ「考え方改革」をするだけで、自由にシフトできる。自分は今どう言う考え方で生きているのだろうか?三次元的、それとも五次元的?考え方を変えて見る、発想の転換をしてみる、頭が柔軟な人もいれば、頑なな人もいる。

そんな考え方は五次元では要りません。その判断力と判断基準が、三次元と五次元を分かつ。憎しみは必要ですか?ランク付けは必要ですか?78億人一人一人が、自問自答する必要が有る。


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