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人間と戦争、貴方の居場所

第一章 生存競争は必要なのか?

生物界では日夜熾烈な生存競争が繰り広げられている。つまり食うか食われるかの戦いである。

人間も生物だから生存競争に明け暮れている。企業も国家も潰し合いを正当化して憚(はばか)らない。

だから、そこではモラルとか倫理は二の次三の次になってしまう。人を自殺に追い込んだり、好き放題になる。

人間が真の意味で道徳心を身に着けるにはまだ随分年月を必要とするのだろうか?人間は進化より停滞を望む生き物なのか?

仏教には、六道輪廻の世界観が有って、人間の一段下に修羅世界が位置していてる、其処では戦争ばかりしている。人間は未だその修羅世界の尻尾を引き摺っている。だから、真に平和を望むなら、一段上の天上界に住むしか手はない。

第ニ章 天に住む

地上界とは、喧騒と慌ただしさの場所だから、其処で平安と安らぎの一生を送るのは至難の業である。

だから、安らぎや癒やしや平和や調和を真に望むのであれば、地上界を卒業して天界に住み替えるのが妥当である。

自分の基本設定を、地上に限定したり、生存競争は不可避と設定している限り、戦争や競争は何処までも付いて回る。其処で、天界の住人たちは自分たちの基本設定を「調和と平安」に書き換えたのである。

殺し合いの大好きな意識体は、修羅世界に住めばいいし、調和や癒やしを切に望む意識体は天界を居場所にすればいい。人間界はそのどっち付かずの中途半端世界だから、戦争と平和を交互に無限ループする。だから、平和は次の戦争の準備期間に成り下がる。

地獄、修羅、人間、何処でも自分の住みたい場所に住めばいい。だが、それらの何れに住もうとも、其処に幸せも安楽も無い。言い換えれば、其処には苦しみしか無い。それに気づた者は馬鹿らしくなって地上界から離脱する。

人間界で生き地獄を体験する人たちがいる。其処で何か気づきを得る為である。気づきを得たならば、其処に長居は無用である。

煩悩即菩提と言う言葉がある。煩悩と菩提は地続きだから、生き地獄はそのまま極楽浄土へと繋がっている。ここは生き地獄だ苦しいと言うまさにその最中に仏を天国を見つけ出せればいい。「外界に惑わされず、自身の内面を見よ」と言うことである。




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