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備えあれば憂い有り

地震国に生きる、だから地震に備えて地震保険に入っておく。それは当然ですよね。

これから食糧難の時代が来そうだから、それに備えて食糧を備蓄しておこう。それは推奨されるべき賢明な生き方です。それで何年分備蓄しますか?百年戦争に備えて百年分ですか?

敢えてわざと備蓄しないという生き方も有りなんじゃない?これを「破天荒な生き方」とか「無手勝流人生」と呼ぶことにしましょう。

核戦争に「備えて」自宅に核シェルターを造っておくと安心ですよね。準備万端何時でも来い!えっ?なんと貴方は核戦争を望んでいたのですね?潜在意識レベルで貴方は核戦争を不可避と「信じるが故に」核シェルターを造り其処に食糧を備蓄した。準備万端なんだからもはや貴方の人生に核戦争は不可避的に訪れます。

つまり備えが有るから憂いが無いのでは無くて、貴方は「憂いが有るから備えた」のです。そして貴方の憂いが引き寄せの法則に従って核戦争を回避不可能へと導く訳です。

だから鶏が先か卵が先か、貴方の憂いが「先」だから、貴方の人生は御難に遭わざるを得ない訳です。

わざと意図して意図的に地震保険に入らず、核シェルターをわざと造らず、食糧を故意に備蓄しない、破天荒な無手勝流のクレイジーな人生は、それにも拘わらず核戦争を難なく生き延びる。

何故かって?人智を超えた生き方をする人には天の軍勢が自ずと味方してしまい、偶然にも地震被害を招かれるからです。こういった無手勝流の破天荒な生き方は万人向きでは無い。

治安の悪い地域に小型拳銃を携帯したお陰で難を逃れたというのが一般的庶民の採るべき賢明な生き方なのです。ただ在り来たりのありふれた生き方なんか俺には似合わないぜと言う人は一見リスキー極まり無い選択肢を採用してしまうのである。

備蓄派と備蓄しない派果たしてどっちが生き延びるんでしょう?備蓄しなくていい安心感、それは何処から来るのでしょうか?


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