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自業自得論の本質とは?

良いことをしたら、それがブーメランとして自分に返って来る。そんなの嘘だ、有り得ないね、そう言う人は、それでいい訳です。この宇宙が実は自業自得論に基づいて形成されているので有れば、それに反対しようが、賛成しようが関係なく宇宙の仕組みとしてそうな訳です。世の中には悪人がいるし、嘘つきも居る。詐欺師もいるし、ペテン師もいる。だから神を信じないのも自由だし、殺人を犯す自由も許されている。そういう中で、自分が自由意志で持って、自業自得論は正しいと信じて生きてもいい訳です。仏教に因や縁のない他宗教の人は、こういった考え方は理解しにくいかもしれない。自業自得や因果応報という言葉に触れ得る文化圏の人は、そういうご縁が有った意識たちなのである。さてこの自業自得論と因果応報論は、善因善果と悪因悪果に分かれる。悪人は悪を為したくて、日夜悪事に耽(ふけ)る。今多くの人は、あの人はこんな悪い事してると、他人の悪事を指摘したがるが、悪果するのだから、放っておけばいいのである。もっと言えば、善人と悪人に綺麗に二分出来るはずもない。何が悪かも実は詳細な定義も難しい。法的にはオーケーでも、道義的には悪でしょと言うケースもある。だから人の行為を善と悪に峻別など出来っこない。善悪には政治や宗教や倫理道徳が絡んで来る。それで善悪で無しに、ポジティブとネガティブ、プラスとマイナスで考えた方が、分かり易かったりする。カルマと言わないで、エネルギーバランスと言ったら理解されたりする。自分がネガティブエネルギーを発したから、自身がネガティブエネルギーを受け取ると考える訳です。
袖振り合うも多生の縁とか言う。この世に起こる全ての事象は、因と縁が有って生起する。人間が78億人も居ても、因や縁が無いと擦れ違うチャンスすら無い。出合いが無いと嘆く人もいるが、縁が無いとはイコール自由であり、束縛やシガラミから開放されているとも言える。他との関係性とは、善因縁ばかりではない、出合いに見えて腐れ縁というケースもままある。
人間人類は基本的に「鬼か蛇」であるから、善因するのは困難を伴い、悪を為す時はスムーズである。さて、人類は果たして神人類へと進化可能だろうか。各人は、自ら意図的に善因していく事は可能だろうか。
全ての意識は、鏡としての宇宙、鏡としての世界、鏡としての他者、鏡としての自分自身と向かい合い、行為者として対価を受け取る。それが善果だったり悪果だったりする。エネルギーバランスとエネルギー循環の中で、意識は行為しその結果を受け取る。つまり、自身が住む世界が自分が受け取った世界なのである。


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