見出し画像

生活習慣から「波動習慣」へ

第一章 「舌の刺激、胃の刺激、脳の刺激」

刺激がないと人は退屈する。だから味覚も過度の刺激を追い求める。何故そんなことがしたいのか?

何故激辛が欲しいのでしょうか?もう味覚は馬鹿になって来ているのだろうか。ニンニクや香辛料の過剰摂取が貴方の胃や腸の粘膜を傷つけてはいないだろうか?

第二章 「不眠と脳疲労」

脳のエネルギー源はブドウ糖です。でもブドウ糖だけ与えても脳の疲れは取れません。脳は何故疲労するのでしょうか?脳に蓄積される疲労物質って何なの?実はまだ解明されていません。アデノシンなのか、それともグルタミン酸なのかと推測の域を出ません。

お金は大事だし、睡眠も大事です。しかも睡眠の質が重要です。安眠感が欲しいのです。二日酔い感では無くて、スッキリ感が欲しいのです。長時間寝たのにまだ疲れている、そういう人は正に寝たことで疲労したのです。

神経がカフェインの過剰摂取で興奮し、寝付けないことで却って疲れたりします。だから、睡眠時はきちんと副交感神経にスイッチを切り替える必要があるのです。

第三章 「信じない自由など存在しない」

今この時に宇宙の片隅では、軍事衝突が起きたり、交通事故が起きたりと、世の中は何時も慌ただしい。それで貴方と言う視点は、カメラのファインダーを覗き込み、戦争好きの大統領の顔をクローズアップしてその無精髭の本数を数えたりします。人生と言う限られた貴重な時間を、そんな下らない映像を観るなんて確かに時間の無駄です。

カメラのファインダーを覗き込むから、宇宙の全体像が視えないんです。

他人が撮った映像なんて基本自分の本当に観たい映像では有りません。

人間は明日心筋梗塞で死ぬかもしれないし、ミサイルの標的になるかもしれないのだから、一秒たりとも無駄にはしたくない。つまり、下らない番組を惰性で視ないようにしたい。自分が観たい映像を自身がチョイスしない限り、人生は詰まらないんです。昔はテレビが一台しかな無くて、チャンネル選択権は家長にしか無かった。今はテレビの時代では有りません。何億チャンネルも有る中から、自分が最も惹かれる動画をチョイスして愉しむ時代です。

だから、生き地獄で無くて、自身の極楽浄土をその都度チョイスしていくあみだクジ的な生き方が求められます。

宇宙の片隅に有る領土紛争にクローズアップするか、それとも花巻温泉の温泉入浴動画に自分のレンズを向けた方が幸せなのか?カメラマンは、現に今有る映像しか映せません。だが、現実とは、自分が思念した過去、つまり「思考の残骸」に過ぎません。そして「思考の残骸」にわざわざ今レンズを向けなければならない必然性は全く有りません。別の言い方をすると、世界中で起きている下らない出来事ばかりを今日の出来事としてランク付けしてチェックする必要など有りません。

カメラのファインダーと言う「小さな覗き穴」から見るから世界情勢って詰まらないし下らないのです。

これまで人間にはチャンネル選択権が無かった。だから他人から与えられる映像をただ受け身的に受け取って来た。それでいざ戦争が起きたなら、国から召集令状が届き、人は否応なしに戦地に赴く。其処に拒否権は有りません。国連だって常任理事国と言う名のならず者国家にだけ拒否権が与えられています。こりゃ世も末じゃな。

第四章 「過去生の私は私では無い」

自分とは何かと言う時の「自分」とは一体「どの自分」を指したら的確なのでしょうか?「過去生の自分」も「現世の自分」もそれぞれが自立した個として存在しているのかもしれません。其処に時間軸を導入して「連続性」を「信じるマインド」を付与したら「前世のカルマ」が出現します。

それは一体何を意味しているのでしょうか?「前世は着脱可能である。」と言うことです。プラモデルを組み立てるように自分の前世や前々世を自分のお好みでチョイスして「これが私の魂のヒストリーです」と言い張っていい訳です。

例えるなら宇宙と言う一つの超巨大な身体が有って、その体細胞の一つ一つが過去現在未来に細胞分裂し、多次元的にも成長し進化しています。

そうなると物質世界とか現実世界と言った「あぶく」は消滅してもいいし、存続し続けてもいい。記憶は忘却してもいいし、アカシックレコードに保存してもいい。

それで地獄絵図や地獄絵巻ばかりをコレクターとして収集し続けるのは、病気だからなのか、それとも単に生活習慣だからそうしているのか?

極楽ってどういう処だったっけ?貴方はイマジネーションが不足してませんか。人生の悲惨、貧困層の苦悩、難病患者のドキュメンタリー、不幸の数を数え出したら切りが無いんです。だから、数えるのを止めてみる。代わりにキスの数を数えてみる。楽しきことのみ思い出してみる。だって過去は着脱可能なのだから。人生はオセロゲームなのだから、ネガティブをポジティブに、一つずつひっくり返して行ってもいいんです。

自分は無能なんだと信じてもいいし、有能で全能なんだと信じ込んでもいいのです。今まで奴隷で無くちゃ、家来で無くちゃと信じ込まされたから不幸だったのです。

第五章 「波動習慣」

生活習慣が生活習慣病を生み出します。生活習慣を改めれば健康を取り戻せます。でも生活習慣って癖だから中々直りません。だから最初は意識的に選んで行きます。そうする内に慣れて来て半ば自動化されます。貧富の差を無くせ。それは暴力革命しかない。そんな急激なことしても上手く行きません。日々格差と差別化を図る勢力が在るから、貧富の差は長年存続し続けて来たんです。人類の集合意識を替えればあっさり消滅します。

だから「思考習慣」や「波動習慣」を替えて行く人たちの有無、その増減が次の未来社会を創る訳です。

「でんでん」と言う魚。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?