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「生きる」とは何か?

この世があって、あの世がある。前世があって、来世がある。前世、前々生と一つずつ数えて行くと、人生は何千回何万回と成っていく。今回は十万回目の記念すべき転生だったりもする。一度きりの人生とか言う人がいるが、十万回だったら困るんでしょうか?

人は生きることが苦しくなるとつい死にたくなるが、死んだところで問題は解決しない。苦しみは死の向こう側までついて来るからである。

人はすぐ死ぬが、「死」とは何だろうか?死とは本当は錯覚に過ぎない。本当のところ人は死んだりしない。

「生命」という「無限に長い一本のロープ」が有って、自分と言う意識がこの永続性を悟らない故に、「死と言う断続性」を幻想として導入したに過ぎない。
死が錯覚でしかないと気づくことが、一つの大きな悟りである。
自分の生は最初から死を超越していたのである。
人間は自分の生の脆弱性を悟ることによって、「自己の永続性」に気づく。
自分とは肉体に付着した一過性のゴミに過ぎない。そして意識と言う付着物が実は自己の本体で、肉体は単に操り人形でしかない。だから、死に際し人は簡単に肉体を廃棄する。死体をミイラにするのは、肉体への未練がましい執着に過ぎない。
宇宙と言う深い水槽の中で、魂は転生と言う対流を繰り返している。気化し蒸発して、水槽から脱出出来たら「解脱」である。
つまり、水槽の中に居る限り本当の生は経験出来ず、偽りの生死を無限反復している。
自分とは、輪廻転生を無限反復する意識、つまり錯覚としての生、「仮りの生」なのである。
解脱とは、「仮りの生」から「本当の生」への移行である。言い換えれば、生の脆弱性からの卒業である。

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