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意識もフラクタル構造だった

第一章 「幻想の内と外」

内か外かと言う区分方法は実は幻想に過ぎない。地球外生命体は実際には自身の内面に生息し、いくら天体望遠鏡で天体を隈なく探し廻っても見つけられない。

何故かと言うと「外界」とは、自身の内面を映す「鏡」つまりは「内面と言う映画を上映するスクリーン」、言い換えれば単なるプロジェクションマッピングなのです。

だから自分と言う内面の不安や動揺、恐怖や焦りに最適な外界が自分の眼前に展開され、仮に席が隣同士だったとしても一方は刺されて死に、もう片方は鼻提灯で「もうお腹一杯」と寝言を言いながら惨事と出会う事もない。

人間は宇宙は一つで、世界は一つと思い込み、一つのリンゴ、一つの金メダルを万人で奪い合う。これを「勘違い人類」とか「共同幻想を懐く妄者たち」と呼びましょう。

そうでは無くて、世界も宇宙も無限個存在し、無数の並行宇宙を自分と言うクォークが毎瞬毎瞬別の並行宇宙を選択している訳です。

だから歴史を長年捏造して来た人類にとって、過去も今この瞬間に創造しているのですと言った革新的な世界観は受け入れ難い訳です。其処が彼ら人間的意識レベルの限界値です。

自分の意識の限界は、各人が自身で突破していかないといけません。他人は助けてはくれません。自ら生き地獄を創造する意識体は、自ら好んで自身の自由意志でその生き地獄を創造したと見なされるからです。

第ニ章 「フラクタルな意識」

この宇宙がフラクタル構造であると同様に、一つの宇宙意識は細胞分裂して無限無数の意識体になった。つまり、よく「神は一者である」と言ったりするが、ずっと一者のまま居ても面白くない。だから無数個になることで無数の面白さを体験出来てより嬉しい訳です。

宇宙はずっとカオスや混沌で居ても面白くない。だから神的調和と秩序を嬉しみたい。そのためにフラクタル構造にした。意識も量子レベル、分子レベル、個々の意識、さらには集合意識とフラクタル構造ごとにまとまっている。だから一つであるし無限無数でもある。それゆえ霊魂の数を数えても意味が無い。

細胞は細胞膜で区切られている。世界もこの世と霊界で区切られ、霊魂も私と貴方に区切られています。と同時に意識同士は以心伝心的に繋がり情報交換をしています。こうしてこの世とあの世、個と集合意識はフラクタルに繋がりシンクロニシティを享受して嬉しみます。

個人の個を強調し過ぎると孤立感を感じ、繋がりを意識できると寂しさは感じません。

人間は肉体なのだ物質なのだと言った時に、霊的つながりを感じ難い。それで孤独感を感じて寂しくなる。

宇宙も世界も人間も動物も、山も川も森も、「ただ一つの生命エネルギー」が形態として多様化して見せているに過ぎません。

だから全能性を嬉しんだり、創造性を満喫したりして、愉しめばいいんです。


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