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波であり、粒でもある私

人間人体は37兆個の体細胞で出来ている。それで37兆個が勝手に細胞分裂したいと言い出したら収拾が付かなくなる。体細胞を一つに統合しているのは多分人間の精神である。
光は波でもあり、粒でもある。つまり波という性質と粒という性質を、一つに重ね合わせたら光になった。
そして精神と肉体を一つに重ね合わせたら人間になった。精神が肉体に憑依したのである。いや精神が肉体を創造したのである。これを精神は肉体に進化したと言う人はいない。それにしても精神や意識や霊魂は、電磁波同様に肉眼では視えない。人間に霊界が視えないのは、人間が五次元から三次元に堕落したせいである。堕落とは、自分の精神性を見失い、肉体面や物質的側面だけに局限して人生を営むことを指す。19世紀に流行った唯物論的世界観がその典型である。
さて人間がその霊性を取り戻せば、つまり三次元と四次元をエンタングルしたら霊界が見えるようになる。三次元と五次元をエンタングルしたら人間は超能力者に成っていく。エンタングルを解いたら、また唯の三次元人に戻る。人間は今岐路に立っている。このまま万物の霊長として三次元人を続けたいか、それとも霊性を高めて五次元人へと進化したいのかの選択を迫られている。

人は天国とエンタングルすれば神々となり、地獄と自分をエンタングルすれば、亡者や鬼に成ってしまう。
人間は細胞や次元を重ね合わせたり、解いたりする自在力が無いから、半知半能存在と言える。分離分裂力とは恐らくエントロピーの増大なのだろう。
能力の有無とは、重ね合わせる能力なのかもしれない。愛の分量と言ってもよい。愛の絶対量が最小限の世界を人は地獄と呼ぶのである。細胞も次元も概念も宇宙も、因と縁を結んだり解いたり、一期一会だったり一過性だったりしながら、重ね合わせと離散とを繰り返している。

精神は肉体には成れない。だからアバターと言うか仮想キャラを創って「擬似体験」をして体験型人生を演じながら経験値を蓄積し、半知から全知への遥かな道のりを時間旅行している。

悟るとは恐らく、自分が肉体では無く精神であり、意識であると気づくことであろう。いつか気がつくその日まで人間人類は、生存競争を繰り広げ、殺し合い奪い合い、侵略し合い騙し合い憎しみ合いイジメ合い、生と死を無限ループするのであろう。

この世やあの世に「千年王国」を作ったところで、千年経ったらまた国を失い流浪の民になるんでしょ。

天動説より地動説、唯心論に唯物論、
光一元論を唱えた人って居るのかなあ?光が粒になり、粒が物質になり、情報は遺伝子になったんです。空間は二重螺旋構造になることで、肉体を局所的に創造できる。生命現象とは、時空の局所的竜巻きなのです。つまりエントロピーの局所的減少なのです。

人体と言う体験型の媒体は、37兆個に平等公平に酸素と栄養を与え得ない故に、すねた一部の体細胞はがん細胞になって反抗する。あなたは自身の身体の隅々まで、細胞と素粒子全てに愛と平安を送り届けていますか?いじけたガン細胞に愛と癒しを与えましたか?
それとも憎しみや怒りや絶望を供給し続けましたか?
がん細胞と言う可視性は、怒りや憎しみと言う不可視性とエンタングルメントしたのだろうか?

半知から全知への遥かなる旅路は、私を粒から波へと誘(いざな)う。神経伝達物質は、いつしか物質を精神へと変換してくれるだろうか?秒速30万キロの私が超光速に達した時、ブラックホールの向こう側に別の宇宙を見つけるのだろう。一粒で二度美味しい宇宙は、人類が神人類になるのを心待ちにしている。

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