波でもあり、粒でもある私
光とは何か?これが皆目分からない。
だから正体不明の「光」を人は「神」と呼んだりした。
アインシュタインは光を基準に物理学を再構築しようとしたが、統一場理論には辿り着けなかった。
大体光より速い物質は存在しないなんて最早「信仰」であって科学じゃないよ。
さて全ての存在は光とその派生物である。
この「光一元論」に拠るならば、人間も動植物も霊魂も、全て光であり、光の子供である。
だから、光が波であり粒である以上、人間も波であり粒でないと可笑しい。
つまり、人間が波である時「精神もしくは霊魂」であるから肉眼では視えない。
人間が波から粒に成った時「肉眼には肉体存在」として可視可能となる。
知能指数が低いと波なんですか粒なんですかと二者択一を迫り論争になる。
肉体でもあり精神でもあると理解出来る知的レベルに到達したいなあ。
近世近代の科学は精神や霊魂を否定する事で自然科学を発達させた。
怒りや苛立ちといった精神現象はそれと並行して神経伝達物質やアミノ酸が働いている。
あの人はミネラルや鉄分が不足してるからカリカリしてるのよと言った具合である。
物理的現象はイコール精神現象でもある。
うつ病患者に抗うつ剤を投与すれば一時的には改善が診られる。
だが生活習慣としてのうつ病は結局医者には治せない。
健全な精神の自分をイメージトレーニングしないと根本的治療にならない。
光と闇の混在としての私、もしくは罪深いと刷り込まれた私から、「波であり粒でもある光の子供としての私」に生まれ変わって行く。それを気づきと呼んだりする。
人類の現状を視れば、覚醒はまず無理っぽい。
99%対1%の戦いでは勝ち目がない。
それでも各人が自分だけを救えばいいのである。
自分にとっては造作もない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?