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天に住む方法

人間と神々はどこが「決定的に違う」のか?聖者と悪人の「決定的な違い」は一体何処なのか?それがはっきり掴(つか)めれば、自分の来世を自身で選択できる。来生とは何か?来生とは、今生の記憶の総体である。つまり「全体としての自分」である。この「全体としての自分」が、また来生も三次元人でいたいと望めば、来生も三次元人に生まれ変わる。ただ普通は、三次元人生に疲れ果てヘトヘトになっているので、一旦あの世と言うか霊界で過ごす。三次元人と五次元人の「決定的な違い」は何かと言うと、肉体と物質欲への執着の度合いである。肉体を持ちたいという執着や未練が薄い人は五次元人になり、怒りや憎しみといった感情が支配的な人間は、また別の次元に住む。つまり単に住み分けであり、類は友を呼ぶである。三次元空間では、聖者と悪人は混在するが、あの世では別々に暮らす。三次元世界では、聖者も悪人も同じく肉体を有し、同じDNAを保有する。では両者の決定的な違いは何かと言うと、「意識」つまり「精神性の違い」である。自分の意識を変えてしまえば、簡単に天に住めてしまう。ただ人間は人間習慣に慣れ過ぎて、天での生活習慣が身に付きにくい。三次元人は物質的欲望と肉体への執着が支配的で、五次元人にはそれらへの欲求が薄い。つまり人間と一括(ひとくくり)にしているが、実は十人十色で、知的人間と感情的人間と欲望メインの人間が居て、それが来生は別々に棲み分けると言うだけの話である。自分が来世も人間を続けたいか、一旦五次元に住んでみたいのか、そこが分かれ道となる。三次元と五次元の違いは、愛や知性の分量、憎しみや怒りの分量で決まる。宇宙と霊界の構造は案外単純で、単に人間の精神構造の反映に過ぎないのである。


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