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存在には「単位」がある

個は全体としての「まとまり」を有している。まとまりを失ったら「崩壊もしくは死」を迎える。人はいつも断面と部分しか見ないから、全体が把握されることはない。つまり、世界を構成しているのは、「図と地」だが、地に目が行くことは少ない。人間という個は、時空という地によって「地続き」であり、この世とあの世も地続きで繋がっている。その中で、個人という個は、「一個の全体」としてまとまっている。肉体と意識が、一つにまとまれなくなると「死」は避けられない。ある存在についての全体を知るとは、その一生を知るしかない。個の単位(スケール)は、ミクロからマクロまで、素粒子から原子分子、細胞から人体、個人から社会、国家から世界、世界から宇宙と拡がっているが、それぞれに「一生」がつきまとう。国家は、国民がまとまれなくなると瓦解する。意識と肉体が一つにまとまれなくなると死を迎えると同様に、社会も国家も世界も人類も、まとまれなくなると、その一生は終わる。「和を持って貴し」が絵空事と化す時、大国も一気に滅亡する。国家の一生も、文明の一生も、銀河の一生に比べて概して短命だから、その一生は忙しない。人生百年時代に、文明の一生、数千年単位を視野に入れうるのは、人間のステージをワンランクアップさせるチャンスになる。国家としてまとまれないなら、滅亡しちゃって下さいと言うしかないし、国民が烏合の衆の集まりならば、それはやむを得ない。つまり、まとまろうとする力と細胞分裂や核分裂しようとする力の均衡点で、国家や大国は呆気無く崩壊する。その時、人は、国家や大国が幻想に過ぎなかったと気づくのである。創造と破壊、崩壊と再生を繰り返しながら、宇宙は尺取り虫の如く蠢(うごめ)く。盛者必衰を嘆くのでは無く、まとまりたいのか、別れたいのか、分裂と集合、どちらを望むのかはっきりさせたらいい。まとまれる単位にまで分解されたら、そこから再生が始まる。建物も企業も国家も文明も、スクラップアンドビルドなのである。


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