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存在の本質は消失である

存在の本質は、存在では無くて、消失である。つまり存在は、本性において一過性である。だから存在を追い求めても駄目である。クォークはなぜ短命なのか。存在はそもそも瞬時であり、刹那である。認識とは刹那の残像、今の過去化である。物が多いと運気が下がるのは、エントロピーの増大による。三次元の生命が有限なのは、存在の劣化、物質の老化、エネルギーの消耗のせいである。つまり存在はその都度、無に返してあげないと、永続出来ない。有は無との往来によってのみ存在足りうる。そういう意味で、存在は仮象であり、映像に過ぎない。存在の本質が有では無くて、無だとしたら、有を追い求めるのは、勘違いに他ならない。有限な命に不死を請い願うのは、勘違いだろうか。堕落は短命化をもたらす。フェニックスが天に羽ばたく時、ベクトルは逆向きとなる。やはり無が存在を生み出し、存在は無に帰すのである。


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