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「人·物·金」から「人間本位制」へ

あの人って、「今だけカネだけ自分だけ」よね。そうだよね。でもあんたもそうだよ。

人類は、神を見失ったことで、「この世的なもの」にしか価値を見出せなくなりました。

つまり物質的肉体と、五感を中心に生きることにしました。

だから何に価値があると見做(みな)すかといった「価値観の形成」は、全て「この世的」なのです。

即ち、ブランド物、マイホーム、車、土地を「価値」とみなし、それら全てを「お金」に換算しました。

こうして「人、物、カネ」に「価値」がある「価値観と価値体系」が構築されました。

高級バッグや高級車には価値がある。そうこうするうちに、毛皮のコートやブランド物のバッグって「動物虐待の産物」と言い始めた。高級車は燃費も悪く良く故障するし、エコでも無いと言い出した。

こうした「価値観の変遷」は、果たして「人、物、カネ」に価値を置く生き方は正しいのか、それは幸せなのかと疑問を呈し始めます。

イーロン・マスクが大金持ちなのは、頭が良いからですが、社会が所得格差を是認し、一生貧乏なメイドたちの存在を疑問に思わない社会だからです。

つまり王政を打倒しても、取って代わった政権は、結局庶民や国民に富を与えません。

それは民主主義だろうが、共産主義だろうが、全く同じです。共産主義だろうが、アラブの石油国だろうが、大富豪が居て貧民がいるその社会構造は全く同じなのです。

人類は基本的に全員が「拝金主義者」であり、「お金の奴隷」なのです。

不動産には価値がある。つまり土地と建物に価値を与えた。地球上の土地は地球の物で、元来「土地所有者の物」では有りません。

人類の土地や建物への「異常な執着」が、現行の経済システムを構築しました。

何故共産主義社会に大富豪が存在しうるのか?それは人類全体が拝金主義者だからです。お金以外の物に価値を見い出しえないからです。

こうして人類は、お金には価値がある、国家には存続する価値がある、土地を所有する事には価値がある、皆んながそう信じ込んで「人類共通の価値体系」が形成されました。

つまりは「所有欲」が、土地や建物や車を欲させた。昔は王様が多数の女性を侍らせた。これも「所有欲の一種」です。

所有欲は「執着の一形態」なのです。月面のあっち側は我が国が所有します。所有欲は征服欲や支配欲に発展します。国家間の領土紛争とは、所有欲そのものでしょう。

それで話は変わりますが、意識もしくは霊魂は、「肉体を所有したがりました。」つまり其処にも「所有欲」が顔を出します。

果たして肉体は意識の「所有物」なのでしょうか?多分違いますね。

「所有欲からの脱却」は、これからの人類のテーマになります。

宇宙船暮らしが日常になった時に、何処かの惑星の土地を所有したいなんてナンセンスです。土地への執着とは、意識レベルの低さなのです。

こうして人類は何十年か掛けて、「物の所有」「土地や建物の所有」「肉体の所有」「お金の所有」といった「諸々の呪縛」から解き放たれます。

つまり「人、物、カネ」に価値を置いて来たのは、人間とか自分を基本的に「無価値な存在」とみなしていたからです。

もしも人間とか自分に価値があると皆が集合意識として信じるようになったならば、アル中やホームレスを路上に放置して平気な社会は消滅し、人間各人は存在しているだけで既に価値があるといった「存在価値」を皆が当然とみなし、存在給とかベーシックインカムが導入されて行きます。

つまり土地建物やお金に価値があるのでは無くて、人間という存在に価値があると気づき始める訳です。国家や国会議員に価値があるのでは無くて、万人に平等に存在価値がある故に、国家や国会議員は相対的に、無価値化して行くのです。

こうして人類は、此れから数十年かけてゆっくり着実に「価値観のパラダイムシフト」つまり「自分の価値体系の意識変革」を体験します。

「人、物、カネ」から、「人間本位制」への移行です。それは「国家の指導者には価値が無い」という、指導者たちには過酷過ぎる現実となります。


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