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神と人の違い

人間は、結果から出発する。つまり、世界がまず有って、それを五感で「認識」する。言い換えると、認識とは、世界に対する「受動的態度」なのである。
神は創造主と呼ばれ、人間は「被造物」と呼ばれる。創造主と呼ばれるには「無からの創造」が無いといけない。つまり「有からの創造」では、創造主では無くクリエイターに留まるからである。
人と神の違いとは、結果から出発するのでは無く、無から創造するか否かである。
だから、神か人かの判別は「創造主か被造物か」を見極めればよい。
そして、人間の特徴は「初めより終わり」を気にする点である。自身や他人の死、自国や他国の滅亡、文明や世界の「終わり」ばかりを気にする。
それは言い換えれば、死を恐れ、終わりを恐れるからである。
「終わり」では無く、「初め」にしか興味の無い自分に変えていくことが、人から神への進化であり、脱皮である。
「世界を認識」するのでは無く、「世界を創造」する。「有から創造」するのでは無く、「無から創造」する。
「終わり」に興味を失い、「初め」にしか関心を持たなくなってきたら、人間から神への脱皮時期なのである。
世界を認識するのは、世界に対する受動的態度のゆえである。世界に対する自らの積極的態度が「無からの創造」なのである。
終わりとは、死であり、滅亡とか終焉である。人類は世の終わりや人の死ばかり気にする。被造物だからそうなる。
被造物を卒業したら、終わりに興味を持たなくなる。「始まり」にしか関心を向けなくなる。それが人から神への「意識転換」である。
人間を造ったのは、神なのか自然なのか?神だろうが自然だろうが、どっちにしたって自身で無い他者が造ったので、人間が「被造物」であることに変わりはない。
他者に造られた存在である限り、本当の意味で存在とは言えない。言い換えると人間という被造物から神という創造主へと脱皮しないといけない。他者に造られた自分は、いつ自身が無くなるかいつもビクビクしながら生きるしかない。死を恐れ、終わりを恐れる自分を「被造物」と言うのである。
終わりに興味を失い、無から始める自分になる。認識を辞め、全てを無から創り出す、つまり「始まり」にだけ関心を向ける。それが人間から創造主への進化なのである。



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