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宇宙はパンツを見せたがる !

「人間とは、パンツを履(は)いたサルである。」と言った人がいます。野生のサルも鳥たちも皆んなパンツは履いていません。なのに人間だけがパンツを履く。つまりパンツを履くことが「知性の印(しるし)」と考えた訳です。

宇宙とは何か?その問いに各人各様に答えてみたら、それがその人の宇宙観と言う事になります。そもそも宇宙なんて存在しない、そう言う答えも勿論有りです。

空を見上げてご覧、あれが宇宙だよ。でもあれって天井に月や星の絵を貼り付けているだけだよ。

スピリチュアルや宗教に抵抗感がある人でも、UFOやエイリアンには関心が持てます。だから着ぐるみを着た宇宙人にインタビューしたら面白い動画になります。

アニメの主人公は、「真実は何時も一つ」と言って事件を解き明かします。
その際「真実は星の数だけ有る」、「無限無数個の並行宇宙が存在する」と言ったら事件は迷宮入りかもしれません。

たった一つの唯一無二の広大無辺の大宇宙が存在し、それが無数個に意識分裂したその内の一つが、今ここに居る唯一無二の自分なのです。何故自分が唯一無二なのかと言うと、自分固有の周波数が割り当てられていて個人を特定できるからです。

さて人間は生まれ乍(なが)らにして一人に一つずつ宇宙が与えられています。つまり他人と奪い合ったり取り合ったりしなくてもいいのです。つまり「あなたの宇宙を私によこせ」と言われずにすむのです。各人が、一人一つずつ自分の宇宙を相続する権利を、生まれ乍ら有しています(It is my birthright.)。

それで人は何か欲しいなと思ったら、宇宙にそれをオーダーします。

「苦しい時の神頼み」と言うのが在ります。それがたまたま神に届く事も有るでしょう。でも普通はなかなか天に届きません。神社やお寺に縋(すが)ったりしてもなかなか上手く行きません。

その結果落胆し絶望して「神も仏も無い」と嘆いたりします。人は神や仏とどう向き合えばいいのでしょうか?拗(す)ねて無神論者に成るのが正解でしょうか?

実は神も仏も今ここに居ます。何処にでも居ます。これを遍在性と言います。何処にでも居る為に「不可視存在」と言う形態を採る訳です。つまり形を有してしまうと、局所存在に堕してしまい遍在性を失います。逆に言うと、遍在性を失う事で天体とか生命体と言った局所存在になれる訳です。

人間はこの世に無知蒙昧に見える存在として産まれて来ても、パンツを履く事で知識を身に着けていきます。でも人間は全知では有りません。それで事有るごとに全知なる宇宙に問い合わせます。つまり「宇宙って全知かつ全能なのです。」

そして宇宙はその全知性を人間に見せびらかしたいのです。そう言う訳で、パンツを履いた人間にあらゆる知性を具現化して見せます。

だから人間は、その都度「健康下さい」「幸せ下さい」「若さ下さい」「豊かさ下さい」とオーダーすればいいのです。

ただ仮に「フリーエネルギー下さい」とオーダーしたとしても、利権の調整と言った人間たちの都合により数年先に先延ばしされてしまいます。それ故フリーエネルギーとAIと量子コンピューターとベーシックインカムが全て出揃うには、一旦現行の為替取引と言った嘘の経済や金融が崩壊して後と言う事に成りそうです。

「備え有れば憂い無し」と言うことわざが有ります。それは正しくもあり、間違ってもいます。何故でしょうか?

核戦争に備えて核シェルターを準備する。それは人間として間違っていません。でも自分が核戦争を「恐れと不安」で想定したが故に、その人はその恐れと不安に応じた「自分の現実」を受け取る羽目になるのです。恐れと不安を動機に行動したからです。

つまり「備えあれば憂いなし」では無くて、先ず先に憂いが根底に有るから備える事にしたのであり、その故に自分が憂うべきその現実と遭遇する事になるのです。

また、例えば食糧危機を皆んなで煽る事で、本当に餓死する人たちが続出します。人類はまあそんな事を繰り返しながら成長していくのです。「食べ物無いと死んじゃう」と思い込みが激しいからです。

「息するだけで生きられる」、そんなぶっ飛んだ人はまだ出現していませんから。でも此れからは徐々に自分の集合意識を書き換える人たちが出現し始めます。「重力って変更可能じゃ無いの?」とか、「時間の連続性って幻想だよ」とか言い始めます。

話を宇宙に戻すと、「宇宙は全知だし全能だし、全てです。」、と言う事は、「宇宙は与えたがりなのです。」だから人間各人は、宇宙銀行に欲しいだけ発注すれば良いのです。金庫のドアは何時も開けっ放しでガードマンも居ません。だって盗る人は居ませんから。何時も開けっ放しだから暗証番号も要りません。

宇宙は与えたがりなので、「不健康下さい」「病気下さい」とオーダーしたら直ぐに「はい、どうぞ」と与えてくれます。でも本当は病気や不健康じゃ無くて「健康下さい」とオーダーした方がいいのです。

この宇宙は無数の並行現実で構成されています。だから病気の自分も健康な自分も一杯居て、人はその中から一人の自分を毎瞬チョイスしています。「今日は膝の調子がいい」とか言いながら。

だから意図して意識的に「健康な自分」を波動的に引き寄せても構わないのです。人類は今まで「無意識的に無自覚に」「病気の自分」を諸事情により選択していたのです。ストレスのせいとかウィルスのせいにしながら。

それはそもそも論として何故病気が発現しうるか誰一人知らなかったからです。

「宇宙とは、無条件の愛です。」ところが人類はこれまでこの「宇宙の発する無条件の愛」を受け取り拒否し続け、「条件付きの愛」「エゴに基づく愛」「身内愛」だけを体験して来ました。それは敵だから殺してもいいやと言う「愛し方」でした。宇宙の無条件の愛を自分が受け取り拒否しない為には、先ず自分自身が「無条件に自分を愛してあげる」必要が有ります。「これが出来ない自分は愛せない」と言うのは、「無条件の愛」では無いゆえに、宇宙と波動が合いません。

宇宙の無条件の愛を受け取るには、自分自身を無条件の愛へと改変していく必要が有るのです。

豊かさも幸せも健康も追い駆けると逃げて行きます。だから追い駆けるのを止めて、引き寄せればいいのです。

自分の中の不足感や欠乏感を動機として根底にして、快楽を追い求めると依存症になります。

これまで人類は「人生山あり谷あり」と信じて生きて来ました。好きと嫌いが半々なのです。或る人をリスペクトする代わりに、必ず別の人をディスります。自分の好きな物と好きな人と好きな事だけに取り囲まれた人生なんて考えた事も有りません。

でも天の住人たちは自分の好きなことしかやりません。だってその方がより楽しいからです。そう言う意味で人生とは、自分の嫌いを一つまた一つと無くしていくプロセスと言えます。だから嫌いな事や嫌な事を止めていく、我慢しない生き方が此れからの生き方なのです。

それゆえ自分がワクワクしない事は、やらなくていいのです。

自分が好きでも無い事を嫌々やるから、病気になるし望まない現実が引き寄せられるのです。戦争も大地震も大事故も飢餓も全て「自分の嫌々が引き寄せている」のです。自分の好きな事だけをチョイスして行ったら、ネガティブな現実は起こりません。

「宇宙は与えたがりの親バカさんみたいな存在です。」だから自分の望まない事はオーダーしなくていいのです。「戦場は要りません。」「不健康は要りません。」とはっきり言えばいいのです。

自分が自分の望まない事を、嫌々或いは我慢してやってしまうから、自分の人生が不快な現実を引き寄せてしまうのです。

一度きりの人生なんだから、自分の好きな事だけをチョイスし続ける人生にシフトしませんか?

食糧危機や食糧不足といった「不足と欠乏をベースにした」人生とおさらばして、豊穣と豊潤を基盤にした人生にチャレンジして見ませんか?

「与えよ、さらば与えられん。」そうは言っても、自分が与え得る為には、何処かからその与えるべき何かを受け取る必要が有るのです。つまり宇宙から受け取ったエネルギーを、自分を通して、世の中に他人や万物に流して行くと言うのが、より正確な言い方なのです。

宇宙が与える存在だから、自分も与える存在に成り得ます。そして与え合うことで宇宙は上手く循環して行くのです。


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