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何故今ここに居るのか?、「時間と無時間」

恐竜は体がデカい。それなのに動きが俊敏だったら驚く。昔から光陰矢の如しと云われて来た、だからついそうなんだろうと思い込んでしまう処だった。実際の処、本当は「光陰カメの如し」なのかもしれません。

確かに人間の寿命には限りがある。つまり、人生は有限です。有限だから一秒も無駄にしたくない。だから、職場に歩いて行かず電車に乗る。動画も映画も二倍速で観る。スポーツも結果だけを早く知りたい。急いでいると言うより、何かに急かされている。

時間の進み方は感覚的で主観的でもある。だから相対的であり、相対性理論が創られた。と言う事は、自分が光の速さで移動すれば、歳を取ることも無いのです。

肉体の寿命は有限だが、意識や精神の寿命は無限だから、どっちが正しいと言うより、自分はどっちを採用するかと言う選択の問題なのです。

例えば、資源は有限だと思い込めば、資源の奪い合いは避けられません。自分の寿命は後何年しかない、だとすると中トロを食べられる回数はあと何回しかないと計算されて、焦りやいら立ちから人生は忙しないものとなり、のんびりする暇も無くなります。

分刻みのスケジュールとスローライフ、一体どちらが正しいのだろうか?それは単に個人的好みの問題でしか無いのでしょうか。

三次元世界とは、時間とプロセスを愉しむ行動の星と云われています。本当は、全てが一挙に同時に起きている。それをじっくり楽しみたくて、時間に沿ってストーリー展開させるのです。そうこうしているうちに、ストーリーを二倍速三倍速で視聴し始め、コマ数を省くようになって来た。これは三次元世界に飽きてきた兆候でもある。

平均寿命が百歳を超えても、健康寿命は90歳以下だろうから、焦る人は焦るかもしれない。それだったら、屋久杉に生まれてノンビリ数千年生きた方がいいのかもしれません。

時間は有限なのか、それとも無限なのか?そもそも時間は存在するのでしょうか、それとも存在すると錯覚しているだけなのでしょうか?

「時間よ、止まれ」なんて言って本当に止まったら大変で、宇宙全体が静止画像になり、それは結局宇宙の死に他なりません。だから、宇宙は生きていると言える為に、宇宙は進化したり膨張したりせざるを得ません。意識だって生きていると言える為には、成長し進化するしか有りません。

恐竜時代と縄文時代が同時並行的に存在するから宇宙は全知たり得る。それで、時代の前後を逆にしないのが、三次元世界なのです。そして時間の可逆性を可能にするのが高次元世界なのです。

「歴史とは捏造であり、意識による創作である。」時間は一旦生み出されたら、人はその中で生きるしかない。そして時間の中に住めば、歳を取るのは避けられません。此処で自分は歳を取りたいか、取りたくないかの選択を迫られる。取りたく無い人は三次元世界には向いてない。否、意識とテクノロジーの進化で、そのうち人はちょくちょく時間を逆行し、そうする事で不老を実現するのかもしれません。

ピラミッドを作ったのは古代エジプト人だ、そんな証拠は何処にも無い。

縄文人はドングリを食っていた、それはどうも本当らしい。

時間は有った方がいい。その方が楽しい。そう思ったから三次元に来てみた。いざ来てみたら、老いると言うデメリットに直面した。こうなると対策としては、その都度一秒前にタイムスリップすることで、老化を防止するしかない。だからタイムマシンは発明されるしかない。星間移動だって、距離感を省けばいいだけの話だから、何れ可能になるでしょう。

何故今ここに居るのか?ここで幾つかの俗説を紹介して見ましょう。その一、遺伝子DNAの偶然でたまたまこの世に滞在している。そのニ、前世のカルマが因となり、この世に現象した。その三、天から追放され仕方なく、罰としてこの世に産まれた。だから人生は辛く厳しい。これらの説はどれもネガティブな理由ですね。

罰やカルマや遺伝子の偶然では無く、自分がこの世に生まれたいと望んだから今ここに居るんです。

何の為に三次元世界に来たのか?自分の思考で世界を創造したくてここに来た。一方で、ネガティブな理由しか思い付かない人たちがいる。そう言う人は、人生を罰ゲームとか言い始めます。全ては必然なのです。それを認めたく無い科学者は、遺伝子の偶然と言った仮説を採用したがります。最もポジティブな存在理由を見つけ出し得る意識が、実は最高最善の意識なのです。










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