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トラウマの断捨離、もしくは断捨離三昧

出家とは何かと言うと、この世のシガラミを捨てる事である。それで、恋人を捨てたり、家族を捨てたりして顰蹙(ひんしゅく)を買う事も少なく無い。

ゴミ屋敷と言うのが有る。兎に角ゴミが捨てられない。いつか何かの役に立つかもしれないと取っておくから捨てられなくなる。

物を置いておくとその重力のせいか自分の心は段々重くなっていく。物には「軽やかさ」が無いからである。物の所有とは、エネルギーの停滞、詰まりは腐敗と劣化である。

「軽やかに生きる」とは、一体どう言う事なのか?天空を自由に飛翔するイメージです。一方、人間界のイメージは、地上を重い荷物を背負ってとぼとぼ歩くイメージである。

「人間イコール労働苦役」だった時代もある。どうして人間は楽園から追放されたんでしょうか?単に家出してみたかったんでしょうか?

人間は何時しか「人間イコールネガティブ存在」と化していった。自分がネガティブのカタマリになってしまった。
いや、ネガティブを経験したくて地球にやって来るのである。そして或る者は宇宙のならず者として地球に隠れ棲む。

かくして自分が全知全能で無ければ、何かを仕出かし、失敗感・喪失感・挫折感・後悔・罪意識・また失敗するのではと言う恐怖感、これらの感情はトラウマとなって自分の心全体を沈滞感で満たす。

それで前前前世の失敗感を今世も後生大事に引き摺っています。それって自慢話ですか?引き摺って生きる必要は有るんですか?反省しないサルや後悔しないサルは罰されますか?

体験したのは多分自分です。だから、トラウマは自身の体験として貴重です。貴重だから保有し続ける。心の深い傷跡を何故修復しないんですか?

いや、そもそもそのトラウマって「自分の宝物」なの、それとも「お荷物」なの?もしお荷物だったら持ち歩くのも重くて大変だから、「置いてってもいい」んじゃない?

「忌まわしい記憶」「悲しみと絶望の記憶」、それも自分にとって「重た過ぎる荷物」だから、此処に置いて行きましょう。「記憶の断捨離」である。

「重たい荷物は持たない主義」で生きて行きましょう。

トラウマって軽い荷物か重たい荷物か?重たいから捨てちゃいますか?
トラウマも断捨離しゃうと、心はすっきりして軽くなり爽快です。要するに、トラウマって後生大事に背負って歩くに値するか否かと言う話です。心機一転を図る、ゼロからやり直す、つまり無から創造する、その際トラウマって邪魔なんです。要らないんです。だから廃棄して前に進む。失敗なんてしなかった、喪失なんてしなかった、失恋なんてしてなくて得恋したんです。
人間界は事業に失敗したらその背負い切れない重荷を背負わせて、その人を苛め抜く鬼たちの世界です。

記憶もトラウマも自分が自由に着脱可能な「装備品」なんです。自分が装着したい時だけ装着し、必要無くなったら、「取り外して置いて行く」べき物なのです。



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