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「一生」とは何か?

短命の人もいれば、長寿の人もいる。寿命の短い生物もいれば、樹齢何千年の大木もある。もしも自分の寿命がたった一秒だったら、産まれた瞬間死なないといけないから、考える暇さえ無い。一生が一秒しかないとしても、そこで何か学び何か感じ、何か悟ってあの世に行くので、その一生が無駄と言う事は無い。夭折の天才を惜しむ人がいるが、彼はその短い一生で何かを学んだのである。さて、人の一生があり、地球の一生があり、宇宙にも一生がある。それは単に時間的長短に過ぎない。地球は今46億歳だが、それは当人にとって別に長い年月とも感じない。つまり一生が長かろうが短かかろうが、何れ一生が終わる事に変わりはない。すなわち長短は重要でも無い。ただ長ければそれだけ何か考える時間があるから、出来れば長い方がいい。戦争ばかりしている時代には、平均寿命は短くなり、慌ただしい一生になる。ところで、国家にも一生があり、文明にも一生がある。つまり永続なんて有り得ない。レムリア文明もアトランティス文明も皆滅んで跡形もない。今のこの文明が何時終焉を迎えるか正確にその時を予知するのは難しいが、ガタが来ているのは間違いない。文明の死期と自身の死期がシンクロしても別に構わない。自身の永生と不死を悟るまで、生命は数限り無く死を繰り返す。文明や国家や他人に惑わされず、自身に納得のいく一生を生きればいいのである。


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