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唯我独尊にたどり着く

人間はどこから来て何処へ行くのか?

人間は神に創られたと信じる人々がいる。聖書にそう書いてあるから。

で聖書を信じない人たちは生命は進化して来たと言う科学者の仮説を鵜呑みにすることにした。
進化したかどうか科学では検証できない仮説をどうして容易く信じたのか?
それは学校教育という洗脳装置のお陰である。

聖書も嘘で科学も嘘だとしたら?
自分オリジナルの珍奇な自説を創作するしかない。

エゴむき出しに生きると自己中と非難される。自己中の反対側にある「他己中」は利他主義と称して称賛される。
だが本当にそうでしょうか?
利他主義は自立心や自助努力がおろそかになりやすい。
利他主義には他人中心の罠、つまりは自立の放棄が潜んでいる。

神を信じるとは自分を信じない土壌を生む。

世間は、神で無く自分を信じる者を自己中とかナルシストと揶揄して真実から遠ざかる。
あの人って唯我独尊よねと皮肉を言ってしまう。
人間には真の自立心はまだ無い。
78億人が反対しようとも私は我が道を行く。
その対極が赤信号皆んなで渡れば怖くないなのである。
だから真の自立心とは変人の道たらざるをえない。
エゴや自己中でない宇宙の中心としての自分を確立していくのである。

神を信じることを止めて自分を信じる。言い換えると人間とは自分を信じない生き物なのである。自分を信じられないから、聖書や神といった自分以外の物にすがってしまう。

信じる者は救われる。
信じる者は騙される。
信じない者だけが救われる。

ある者はイデオロギーを信じ、ある者はイスラム革命を信じて死んでいく。

でその時、自分は信じたの?信じなかったの?
地獄で逢いましょう、それが最後のセリフか?

素粒子は進化して電子になり、人間は進化して神となる。
その先はどうなるの?
自分で確かめて下さい、三途の川を皆んなで渡ってもしょうがない。
自立心とは孤独と孤高の選択である。
大宇宙にたった一人で漂ってもそれを寂しいと感じない強い自分でありたい。

孤とは自立である。地球という苗床から人類はいつか巣立たないといけない。他人に頼りたい、依存したい、それが普通の人間で、自立できない霊魂たちなのである。

だから自立の先に待ち受ける孤独に堪えられない。やっぱり皆んなと一緒に頽落しよう、そうなってしまう。

そこで俺は我が道を行くとはならない。まあ人間だもの、それでいい。
いつか人間を卒業したくなったら、人間は神になるしかないと気づくだろう。

サルから人へ、そしてまたサルへ。
陸上からまた海へ。あなたは何処へ向いたいの?
人間の身体は数十兆個の体細胞で出来ている。それは多過ぎて扱い切れないから私は単細胞でいいです。
また素粒子に逆戻りするのか?
進化のベクトルを見失うとそうなる。

今度生まれて来る時は、私は人間で無くAIに憑依したいな、だって人間より賢いんだもん。飛んでくる数万発のミサイルを瞬時に迎撃できるAIを誰か売ってくれないか。

人類対AIの最終決戦は近いのかな。
不老不死の私には関係ないけど。

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