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森会長と自分ポキュパイン現象とデビアスなメイドたちにみる役割の揺れ

森会長辞任するって!ありがとー!ほんと、これが正しい選択だと思う、とうれしかったのですが、さて辞任がかなうと、ふと我に返って思いました。

わし、ポキュパインになってた?w

なってたかも。自分と価値観の合わない現象が起きたときに、ひたすらNONONONOと全身に針を立ててしまう現象をわしはポキュパイン現象と名付けて紹介してたのですが、わし自身がなってたかもしれぬ。いやなってたな。

ショックw。

じゃあどうしたらよかったんだというと。。。でも森に代表されるような現象が世の中に蔓延しているのは、どうしても許容していいこととは思えないんだよね。性別で、性別故のふるまいを強制するってやっぱりおかしいことだと思うので、私にできたのは、相手の立場を思いやるということだったのか。思いやるべきだったのか。思いやるだけ思いやって譲らなかったらポキュパインにならなかったんだろうかw。難しい。。。

1つエクスキューズさせていただくと、私は平民に針を立てたわけじゃなくて、権威に対して針を立てたつもりなので、ヘイト団子合戦する気持ちは全くないのです。権威や既存システムに対して、針を立てたと自分では思っています。

それで思い出した、わたくしだいぶ昔にデス妻というソープオペラ?主婦をターゲットにしたっぽいどろどろの殺人をまつわる人間劇を描いてるドラマにはまってたのですがね、昨日それの同じ人が作ったデビアスのメイドたちというのを見ててふと思ったのです:

私がアメリカのドラマのいくつかで見られる手法で、とてもいいなと思うのは、①脇役・主役という線引きがあいまいなこと。途中から全員主人公にみえてくるwそしてもう一つは②完全なる悪人善人がどこにも存在しないこと。

日本だと、たぶん主役(良い役。視聴者はここにのみ感情移入する仕組み)の視点が80%で世界の中心が主役1人で、あとは周囲の人々という感じでしょ。メインロールがあって、そのほかサポートする人がいるという構造。もちろんアメリカでもこういうのはあります。しかしこの方の作るドラマは、いわゆる脇役一人ひとりの人生・視点で作られていて、一人ひとりがそれぞれの物語を紡いで、それらの微妙な揺れ動きを折り重ねて合体させて全体のストーリーが成り立ってるのですね。そしてもう一つこのドラマの特徴的なのは、”完全な善人”とか”完全な悪者”というのがいないこと。ストーリーが進むにつれ、善人がときに悪いことしちゃったり、悪い人がいいことしたりでもまた悪いことしたり、そういう”役割が流動して不確かな”世界を描いていて、完全な悪人、完全な善人というのが世界にそもそも存在してないんだということに気づかされるのです。たとえばこの方↓いわゆる最初脇役のお金持ちのいかにもヒール役として登場しますが、

途中から彼女の過去、おかれた状況の無情さ、辛い心の状況なども描かれて、同情の気持ちが視聴者に出てきたころにまた悪いことしちゃう、が錯綜するのです、そして各脇役の揺れ動きが合体してストーリーが成立していく、それをまとめてるのが主役って感じです。なのでそのときそのときで視聴者も感情移入する役が移り変わって、全員が主人公に見えてくるのです。すごいよね。こういうの作る人、ほんとすごいと思うんですw。女性向け・主婦向けのドラマですが、そういう視点で見るとどんな人にも面白いと思うので一回見てみてほしい。

リアルな世界も、割とこういうのに近いのだと思う。完全なヒール役、完全なヒーロー役ってのは、たぶんいなくて、揺れ動いていて、それらが相関して世界が出来上がってるんだ、という方が正しいのかと思う。自分にだって完全に当てはまって、相当腹黒いときもあれば、聖人みたいなときもあるのを自覚していて、どっちかには自信をもって断言できない感じがする。

だとしたら、森案件の時にどうしたらよかったのか。。。わからない。。。譲れないことも、私にはある。。。ちょっと考えよう。でも今の気持ちとしては、平民として、ミニ森のような現象に打ちひしがれた経験が少しでも減る望みが出てきた、というのは、素直にうれしい。


参考:ちなみに上の写真はrebecca wisockyという女優の方。この方かなりいい仕事してると思うんだけど、賞とってないんだね。びみょーーーーなニュアンスのコメディ感を出していてすごく味のある演技だと思うんだけど(ちょっとファンになってるw)

https://en.wikipedia.org/wiki/Rebecca_Wisocky

日本のドラマをあまりにも長いこと見てないので、いま日本のドラマの手法がどうなってるのか知らないのですが、私が好きで最後まで見続けるアメリカのドラマは、この”全員主役”な手法がほとんどなことに気づきました。一時的におもしろい!と思ってみる海外ドラマも、大体最後まで見ない飽き性な私なのですが、この手法は最後まで本当に面白いし、全員の役者が際立って、全然飽きさせません。逆に言うと主役の”メインレベル”が日本のそれより弱いのだと思う。いろんな視点があって飽きないのだと思う。
あとこういう手法にしておけば回がすすむにつれて視聴者ウケのいい役を多めに筋書きに組み込んだりできて、マーケティング的にもよさそうw。でもものすごく頭良くないとプロットの即時微調整できないから、それができるアメリカエンタメ力ってやっぱすごいなーと感激します。

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