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びびび案件連発!中秋の名月見てたら兎じゃなくて勾玉見つけてしまい、その結果、縄文は月の勾玉を読んで時の流れか、航路の方位を計測してた(と思う)件【オレヤマ番外編】
この記事を読んでくださってる方へ未来の私からw~
下記投稿のあと、試行錯誤の末私なりのオチができましたので下記投稿に別途まとめました。お時間ない方はこちらをどうぞw 要約:勾玉は月のウサギをモチーフにしてる→なぜ?→✖すみませんこれだめだった=>春分秋分がざくっと観測できる→春分秋分が縄文人にとって重要な意味があったということになる。すみません。あらためて出直しますのでしばしお時間ください。。春分秋分じゃないのか。。。
先にマイセオリー書いときます:
縄文起源の勾玉は何問題について。従来説では胎児や月などと言われてきたが、たぶん違う。私の解答は下記:
①月の形はマガダマではなく、月の中にある兎部(勾玉状のシルエット)をかたどって勾玉を作ったのだと思う。
②とすると縄文人は月を信仰してたことになる。
③土偶がしばしば上の方を見てるのは、月を見てたとしたらつながる。
③そして、ここから重要。つまり縄文文化では、月の中にある勾玉のシルエットの角度の移り変わりか何か月の模様を読みながら、時あるいは季節あるいは船の航路を確認してたことになる!!(用途は精査中)
月の中にある兎が勾玉!!!!
そしてその勾玉模様をたよりに、時間あるいは季節あるいは方位を図ってた!!(←コレ、月の模様具合に詳しくないので今知恵袋で聞いてるのでまだ確認中です。)
びびびびびびびび⚡
我ながらクレイジーだと思うんです。が、思いついちゃったから仕方ない。さえてる。クレイジーさえてるw。一応ざっくりメモっておきます。
先日から書いてるように、三種の神器(勾玉・鏡・剣)はそれぞれ倭地において時代を席巻した民族を指していて、それをとりまとめたのが大和、というストーリーなのだと思うと書きました。
それでいくと、勾玉=ツキヨミ姫になりますが、これは在来民縄文人+稲作をBC10Cごろに持ってきてブレンドした民族、ということになります。しかしなんで月なんだろうねーと思ってました。とりあえず中国神話とかと合わせるための都合上月にしたのかなと。なお稲作期の渡来人としては少数で、文化としては縄文文化を引き継ぐ形で勾玉は継続した。
しかしそもそも論で、勾玉ってそもそも何なの?と思いますでしょ。私も思うw。いろいろな説があるけどいまいちしっくりこない。胎児とかトンデモ説だと思いましてw。そこで、昨日中秋の名月を見てて思ったのです。やぐるまさんの月の写真が素敵でしたので、引用させていただきます。
夜ちょうど見えたので眺めてたら、最初雲がかかっていて、銅鏡に見えたのです、そして次の瞬間ふと思った。。。。
あれ、勾玉、いない?!?!?!?
みてください↓
現代人にわかりやすいように月を回転させると↓
勾玉、いますよね?www
あれ、いるよね?
見えてるの私だけ??? 古代史にはまりすぎて目がおかしくなってる?w
ねねねねね。いるよね?!?!?!
いる。確実に、いる。
そして日本書紀の、ツキヨミ姫はきっと勾玉文明の”代表者”なのですが、漢字は
月読 or 月夜見 になります@日本書紀。
後者ですと、月夜を見てた。と成れます。
ちなみに月=玉 ※月のウサギは玉兎(ぎょくと)といいます。玉。
なんだこれは。これは、大きなヒントになりそうだぞ!!!!!もともと三日月が勾玉だったりするのかなーとおもって調べてたんですが、どうも三日月は勾玉には見えないのです。なので却下してたという経緯があるのですが、月そのものじゃなくて、月の中に、勾玉がいたのかもしれないよね?!?!その線だとかなりありうる!びびびびび。さっきから一人びびびびびってなってて興奮しつづけているw。
なお、ツキヨミ神=ばっちり日本書紀で稲作と連動しておる。縄文の狩猟漁猟畑作等の園耕民性と、稲作民がブレンドしてる風に描かれてるね。↓
ツキヨミ姫の日本書紀エピソード抜粋:天照大神は天上にお出でになり、
「葦原中国に保食神うけもちのかみ、がおられるそうだ。月夜見尊、お前が行って見てきなさい」とおっしゃられた。その指示を受けて葦原中津国にお降り、保食神を訪ねた。保食神が首を回し陸に向かわれると、ロから米の飯が出てきた。海に向かわれると、ロから大小の魚が出てきた。山に向かわれると、ロから毛皮の動物たちが出てきた。それらの物を全部揃えて、沢山の机にのせておもてなしした。
以前から書いてるように、私は土偶は上の方見てるけど、山見てるんだろうか?太陽見たら目がつぶれるので、太陽信仰ではないはず、ということは書きました。
上見てるものがかなり多い。しかし太陽は目がつぶれるから見てるとしたら
★星を見てる
★月を見てる
★山を見てる
★木を見てる。
になるんです。
もし縄文人は月に勾玉を見てたとするとこの土偶たちは、月を見てたということになる。もちろんそうじゃない場合もあるけれど、月”も”見てると考えられる。
ここから重要なのですが、我々はどうやらこの月の勾玉をいつも同じ角度で見てるわけじゃなさそう。下記見てください北半球の年間満月一覧。下記に動画もはっとく。最初秋分のときに勾玉のアングルに近づくのかと思ってみてたのですが、7月8月もほぼ同じ角度なので、どうやら違いそう。
秋分あたりのキャプチャ貼っておきます↓縦になってきてるのが特徴。
今、知恵袋で、紀元前8000年くらいでは、ちょびっとアングルが違ったかどうか確認中。お願い誰か答えてくれー!ドイツみたいに見える期間があればベスト。
で、どうやら、この勾玉模様は知恵袋でいただいた回答によると、時間でぐるりと回転するようなのです↓先日の秋分満月ですと下記のとおりとのこと。左から19時、0時、4時。一晩かけてほぼ180度回転するんですね。
季節を確認してたのか、時間を確認してたのかはちょっと今の私にはわからない。。月に詳しくない。。このあたりは引き続きググってみます。天文学が苦手なので探せる気がしないですが。。
たとえば夜になって東に出てくる満月のマガダマ模様の角度を見れば、大体の月がわかるでしょ。季節を見てたんじゃないのかなーと思うんだけれども。だって、夜中に時間はかるほど、縄文人って時間に追われてないでしょう?w。
子持ちマガダマストラップ持ってたのに、先週落としちゃったのです。めっちゃ道路探したんだけど、見つからなかった。。しかしいずれにせよあれはアレンジ系なので、意味ないか。なるべく初期の勾玉を確認すべし。
時期<縄文時代晩期>
つがる市木造亀ケ岡出土
似てるよなー。問題はどうやってかけてたか。このバランスだと、紐にくくるとどういう角度になるんでしょうか?わからない。バランス感覚ゼロ。
いる。絶対いる。一つ大事なことは、先日まとめたとおり、
メモ①古事記のみに出てくる因幡のウサギの話はどうなる?
メモ②BC10Cの出来事:
★稲作もってきた渡来人は川の下流に住んだ。
★在来民(縄文人)にとって、下流はもともと価値がなく中流・上流に住んでた。
★一部の在来民は下流に合流した。しかし合体することはなく、中・上流の縄文系と、渡来縄文ブレンド系稲作民は棲み分けしていた。
※どっちも玉なので、どっちの玉民を日本書記で玉にしたか、あるいはどっちもひとくくりに玉民にしたのかは、これから考えないといけない。んだけど、今のところ、ブレンド系を指してたと思われる。合流しなかった系は、土蜘蛛とか毛人とか、”賊”と日本書紀で呼ばれる方になった可能性あり。
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