私がFPSが死ぬほど嫌いな理由

私はFPSが嫌いだ。だがゲームが嫌いなわけではない。

―戦争がテーマだから?
それは無い。戦争がテーマではないFPSも戦争がテーマの他ジャンルゲームも無数にある以上それはあり得ない。

―プレイヤーの民度が低いから?
これは実に失礼な考えだろう。どんなジャンルでも高潔に見える人もいれば下品に見える人もいる。民度なんてものは自分がどれだけいい人(悪い人)に出会ったかという印象の話だ。

―酔うから?
酔わない。もっと視点移動の激しいゲームでも酔わない。

―勝てないヘタクソが悔しがってるだけだろks
勝てねえわけじゃねーし!!!本気出せばお前なんか秒殺だし!!!
という冗談は置いておいて、対戦の無いソロプレイ用のFPSも数多く存在してるが私はそっちも嫌いである。

―考えなしに突っ込むチンパンも戦線押し上げない芋もどっちも○ねばいいのに
どんなジャンルであれ現状把握は必須スキルだろう

いろいろ書いたが私がFPSが嫌いな理由は『敵を狙って撃つ』という動作そのものが苦痛だからという一点のみである
ファーストパーソンシューティングというジャンルは突き詰めればこの『敵を狙って撃つ』という動作をいかに高速で正確に行えるかというのが本質なのである。そう、FPSはエイム力を競うゲームなのだ

こう書くと現役FPSプレイヤーからそんな事は無い、立ち回りと戦術の方が重要だという声が聞こえてくる。しかしそれは一定基準以上のエイム力を持った人間だからこその意見だ。実際に私は立ち回りを研究しチームメイトと足並みを揃えチームを勝利に導こうと考えた事もある。だが正面の敵がこちらのエイム力が低いと気付いた途端立ち回りは意味をなさなくなる。敵は迂回や味方との合流という選択肢を捨て正面からの打ち合い、すなわちエイム力勝負に移行するからだ。
状況次第ではここから囮作戦をとり各個撃破へと導くことも可能だがいつもそれが通用するとは限らない。むしろ戦線を維持することが重要な局面も多々ある。その時は私が戦線の穴となってしまうのだ。
つまりエイム力が低いという事はその時点で一人分の数的不利を抱えてるという事である。
ここまで書けばFPSの本質がエイム力を競うというのは納得してもらえるだろう。

ゲームを楽しいと感じるためにはそのゲームの本質を体現する必要がある。
つまるところ

俺が倒さなきゃ面白くねえだろが!

という結論に至るのである。
そう気づいてしまった以上私は敵を倒しに行く。だが私のクソザコエイムでは倒せるはずもなく一方的にやられてしまうのだ

失意の中私は考える
銃でドンパチするのは嫌いではない。むしろ好きだ
ミリタリチックなのもSFなのも大好物だ
立ち回りの重要性は嫌というほど理解してるつもりだ
敵を画面内に捉えるのは人と比べ劣ってるとはあまり感じないが画面の中央1点のみとなると途端に苦痛になる
本当に何故この手のゲームはロックオンというシステムを頑なに導入しないのか
ああそうか、私はアーマードコアの呪縛から逃れられないのだ
立体的な機動、操作してるという実感を得られる操作性、豊富なカスタマイズ、ゲーム内の世界感。代わりとなりうる要素を持ったゲームは多く生まれたがそれでもなおアーマードコアの新作を求めるのはこういう事なのだ。
ここが私の魂の場所なのだ。

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