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「オトナの色気」について答えを出した。

平素よりお世話になっております。高島です。

Abode illustratorをはじめて触ったのは四年ほど前になります。
なにを作ったのかは覚えていませんが、色調感覚・デザインが自分の生活にどれほどの影響を及ぼしているのか、「雑味は要らぬ」とモノトーンの服で暮らしていた僕は初めてそのチカラを体感しました。

思えばさらにその数年前。
長崎県の端っこで一緒に仕事していたアートディレクターが「なんやねんこのフォント!」「この色調が!」と飲み屋のメニューに怒り散らしていたこともありました。
彼ほどではありませんが多少その感覚も手に入れ、自分の目に映るもの、自分に耳に入るモノを精査して過ごしています。

「そんなことぐらい…」と、ガマンすればスル―することもできます。
が、神は細部に宿りがちだし、井上雄彦先生は「光を描くために影を描く」し、僕も当面はその一切を無視しないことと決めました。

※井上雄彦(いのうえたけひこ)は日本の漫画家。代表作に『SLAMDUNK』、『バガボンド』、『リアル』など。


際立たせるための「影」

例えば先述のモノトーンの洋服も「どうせ刺青があるから他にカラー・デザインがあるとゴチャつくよね」という当時の感覚に基づいた選択だった。

結果としてはソレばかりが強調され、「(他者に)そう見られている」感覚は「自分はそうである」という刷り込みに変わり、なんだかヘンテコな人間になっていた。
当時の自分の演奏を聴いてみてもとにかく硬質で、よく分からない、簡素でつまらない演奏だった。

一方いまのお気に入りはマットピンクのパーカー。
オーバーサイズでもベルベット「風」の表地が効いてラフになりすぎない。腕まくりしてタトゥーがモロ出しになってもその雰囲気は変わらない、ナイスな代物だ(洋服のしまむらで発見、1980円)。

そうなるとフォーマルすぎる革靴にも疑問が湧いてきて、中学生ぶりにスニーカーを買った。色調がうるさいのだけはどうしてもイヤなので、マットブラックのナイキのエアマックスばかり履いている。

「光を描くために影を描く」のならば、自分にとっての光とは一体なんだろう?
どこかで自分は特別な人間だ、と思いたかったのかもしれないが、特別かどうかはもうどうでもいい。
俺は俺でやるべきことがある。そういうスケベ心は年々邪魔になってきた。


「大きな声」だけでは伝わらない

また別の話になるが、僕は声が小さい。
少しくぐもった声質もあると思うが、居酒屋での「すいませ~ん」がまず通らない。
仲のよい友人と飲みに行った時はかならず、『高島一航「すいませ~ん」何回でイケるか選手権大会』が開催されるが、未だに一発でクリアできていない。
第二回大会ぐらいまでは、それはもう、叫ぶように「すいませんー!」とやっていたが、これでは店内全体のボリュームが単に上がるだけで成功率は低い。
なによりうるさい。続ける度にだんだんと自分のことが嫌いになりそうだった。

つまり。
店内と自分では出せるマックスの音量は決まっていて、そのキャパシティーを超えた「大きな表現」はうるさいだけ、ただのノイズ(雑音)にしかならないわけだ。

カチャカチャとグラスの当たる音、他のお客さんの笑い声、その音域にないロー(低音)を効かせ、抜群のタイミングで「…すいませんっ。」と渋く短くキメる。

誰かになにかを伝えたり、意見を強調するには、ただ大きな声を出せばいいワケではない。
適切な量・適切なタイミング、つまり「余白」をどれだけコントロールするか、がカギとなる。


すべてのコト・モノ・人に意味がある、と信じたい

トラップミュージックを筆頭に、トップチャートをからはどんどん音数が少なくなってきた。中にはラップ(声)・ベース・ビートのみで構成されているものもある。

この情報過多の時代、メッセージに飾り付けはもう要らない、必要なのは宣教師のごとく話者がブレス(呼吸)するための、リスナーが考えるための「余白」ということか。

音なり、色なり、デザインなり。「存在する」と必ずどこかしらで意味が発生する。
バタフライエフェクトは無作為に置いた一個の石が大事故を起こすこともある一方、反対側に拡大していくと「この世の中に意味のない、必要のない人間なんていない」とも解釈できる。

※バタフライ効果(英:butterflyeffect)は、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。


そうなるとメロディーが最も活きるように音符を配置したり、
主張がまっすぐ届くように色調を選ぶのは、人間賛歌、人生を肯定する行為なのか、とすら思える。

神は細部に宿る、とはよく言った。
細部を詰め込むための「余白」、
それこそが人間にしか出せない「色気」の正体とみたよ。

以上になります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。



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