『善か偽善か』に想いを馳せる #1
正直あんまり興味の無い話である。
どっちでもどうぞと思う方もそこそこにおられるのではないだろうか。
だけれども、それは偽善だ!偽善者だと拒否反応を示される方もやはり一定数おられるようである。
その時のバイオリズムとか癇に障っただ個人的に気に入らないからとか、何となくとか白か黒か0か100かとか色々あるんだろうなとは思う。(適当に書いてますね...
感覚的に、下らないというよりは他人事だし、主観的な内容な気がするので、掘り下げたところで意味を為さないのではないだろうか、とは思っている。今のところは。
まぁでも、考えてみようと思う。
これはいきなり言って良いのかどうなのか...
こないだ、自分はぬいぐるみをもらったのだ。手作りのものを3体、20センチ程度の大きさである。(フィクションです)
あなたには小さい子供がいるでしょ?と言われ。いませんと答えたのだが、
聞く耳を持たれていないようで、まだこういうの喜ぶよねと言われ、なんか、、後に引けなくなり?
「ありがとうーごさーす!」と頂いてしまったのだが、、みなまでは言わないですけどね、
これは誰かが貰わねばならないものなのですよ。
断ろうと思えば断れるんですけどね、相手は貰ってほしいわけです。あげる人はいないのです。
その人の悲しい顔を見たくなかった!
はい。これは偽善ですね。確定です。
でもね、向こうからしたら善ですよ。貰ってくれた。嬉しい。
もし、私が偽善を行わなければ、行き場の無い感情は何処に行くのですか?
必要とされないぬいぐるみ作りは何の慰みとなるのですか?
私が断れば、偽善者にはならないけれど、救いは生まれない。
私が断れば、相手が悲しむことを容易に予測出来た。
貰わないことで恨みつらみといった感情が相手に芽生えることもあるでしょう。
せっせとぬいぐるみを作られたその方はとても喜んでおられました。
これはもはや善やないですか?
まぁ捨てましたけど。
と言った例え話だったわけなんですけど、どうでしょうか?
これはこちらが偽善者で相手に良い行いをしたパターンですね。
そして、偽善を行わなければ相手を救うことは出来なかったパターンでもあります。
最善ではないけれど、次善と言ったところではないですかね。
小さなお子様に他人が作った手作りのぬいぐるみで是非、遊ばせたいと思ってらっしゃる方おられますか?
その方に現実を見て下さいと伝えることが善ではないと思います。
まぁそこまで言えという方はおられないと思いますが。
だけど、貰わなかったからといって、相手が傷つくとは限らないし、自分の好感度を上げたかっただけじゃないか、だから偽善者なんだという意見もあるでしょう。
まぁでも結果は上々じゃないですか。
え、論点そこじゃないですって!まぁ!
ということで、次回は別のパターンを考えてみたいと思います。
to be continued
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