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陽はまたのぼりくりかえす

毎日noteの投稿を確か102日目で終え、早くも一週間。毎朝5時にセットしていたアラームは一先ず役目を果たし、目覚めるともう6時。

記憶では80日後半辺りから、マイルールの朝7時投稿に間に合わなかったり、つぶやきも目立ったが何とか達成することができました。

陰ながら見てくださった方がいることに、ビックリしたり、いつもスキを押してくださる方や、少ないながらに見てくださった方々がいたお陰です。ありがとうございます。

まとめ的な内容が書けなかったので「100日達成!」とはSNSにアップしなかったものの、これまでにない程ぐっすりと眠れ、朝をどう過ごしていいのかわからない。僕にとって、それくらい書き残すことが日常にもなっていました。

書き残すとは

これまで「読み、書き」を避けていた事もありとても新鮮だった。頭の中で考え、選び抜いた言葉たちは自分の分身のようにも感じる。

写真や動画では、その時見た景色や何処で誰と過ごしたかを記録できるが、感情や思考は言葉として書く以外には残らない。

すらすらと書ける日もあれば全く書けない日もある。その時読んでいる本や、出合った人によって言葉選びや思考が影響されることも。つまり、僕たちは何かに影響されながら毎日を積み重ね、今という自分ができている。

それらを言語化し書き残すことで自分と向き合い、理解できる唯一の方法ではないかと思う。とはいえ、あまり真剣にはなり過ぎず「書けない日は、書けない」と書く。それも醍醐味である。

インプット8割、アウトプット2割

ジムに通いトレーニングを日々重ねるように、思考を言語化し書き出すにも、それ相応なトレーニングが必要だと強く感じた。

何かを成し遂げた訳でもなければ、ライターでもない僕がアウトプットと言っても、精精一週間続けばいいところ。書けば書くほどに、文章力やボキャブラリーのなさにまじまじと気付き、まさに身の丈を実感した。

今までと同じような生活を過ごしているだけでは、書くことすらできなくなってしまうので、インプットに必要な物だけを集めた。

中でも、自伝やエッセイ集の読書が一番適していた。毎日少しづつ、著者それぞれの経験や言葉を聞くことに楽しみも覚えた。

決まった時間に投稿

毎日同じ時間に発信することで、自分へのリミットや習慣ともなった。僕の場合は毎朝7時に投稿。朝早めの仕事で間に合わない日や、つぶやきで凌ぐこともあったが極力マイルールを守った。

よくある、まとめサイトではない

書くネタがなくなると◯◯の◯◯はこうだ。というまとめ記事になりがちだけど、時間を削ってまでそれを書きたい訳ではない。思考を整理して言語化することで自分自身と向き合い改めて理解できる。これが一番大きな収穫物でもあった。

今日を今日中に使い切る

自粛や地域独自の緊急事態宣言の中「不要不急」という言葉を、かなりの回数耳にしたが、日々の生活とは実に不要不急なことばかり。何でもない日常は、いかに素晴らしい時間の積み重ねなのかとも改めて実感した。

誰にでも平等に時間は流れ、嬉しいことも悲しいことも飲み込んで朝はやってくる。「今日も生かされている」朝を迎える度に、そう思う。思い立ったが吉日。一日の始まりである朝に、週一で投稿を始めたいと思います。

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