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木漏れ日の余白。

みんな知ってる?
「木漏れ日」ってことば、他の言語ではひとことで表せられる単語や表記がないらしいよ。

7月。青く高い空に入道雲が綺麗なコントラストを描く頃。
「木漏れ日」と聞くと、汗とスポーツドリンクの匂いが混じる本気で部活に打ち込んだ3年間が浮かび上がる。

秋の夕暮れ。燃えるように赤い夕日が地平線に沈む頃。
「木漏れ日」と聞くと、あの頃ちょっと気があった女の子を自転車の後ろに乗せて寄り道した淡くて酸っぱい思い出がよみがえる。

「木漏れ日」って単語の中には、青春とコントラスト、そしてちょっぴり切ないあの感じ。上手く言葉に出来ないけどいっぱい詰まってるんやなって思う。日本語って美しい。日本人の感性素晴らしい。

でもさ、

あなたは最近「木漏れ日」、感じた?

俺はあんまり感じれてないなあ。
いまや学生の2人に1人が奨学金という名の借金を背負い、帰ってくる予定のない年金を納め、インバウンドやら消費税やらなんかしんどいことが一気にのしかかってくる感じ。

お金が減ってくと精神が不安定になる。
このままで生きていけるのかな。貯金あと〇万円しかないどうしよう。ってね、
そこから逃れるためにはやっぱり稼ぐしかなくって、時間をすり減らして残業したり、副業したり。

だんだん他の選択肢や誰かの悩み事とか受け止める余裕もなくなっていって。

「木漏れ日」を感じることができなくなっちゃった。


思い出して欲しい。「木漏れ日」の情景は、
時がゆっくり流れてた。
誰かと感情を共有していた。
何かに没頭していた。
ぼんやり、でも深く深く思考していた。

「木漏れ日」には「余白」があった。

自分を見つめ返したり、誰かを想うための
"ココロのスキマ"
時間の概念がなく、ただその刹那の連続を楽しんでいる凪の状態。

それらを感じられる幸せが「木漏れ日」にはあったんだなってふと思った。
日本語って美しいね。日本人の感性って素晴らしいね。

やっぱり俺は、このココロを大切にしたい。
自分を愛する「余白」がある。
誰かを想いやる「余白」がある。
木漏れ日を眺める「余白」がある。

お金に余裕があることより、はるかに幸せだと思わない?

他の言語では表すことの出来ない「木漏れ日」。
あじわい切れてない部分までもっと知りたくなっちゃった。
まぁそれを楽しみのひとつとして置いといて、今日は公園にでも行って久しぶりの「木漏れ日」、感じてこよ。

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