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「なにをやってもつまらない」娘と解除後初公園へ行った話

解除後初、電車に乗って公園へ!

緊急事態宣言が解除され、少しづつ外出をし始めている私と娘。ちょっと電車に乗って人の少ない公園やちょっとした浜辺などへ行ってくつろいだり、娘の成長に触れたり出来て心地よいものだった。

解除後初めて行ったのは、野球場があったり、キャンプやバーベキューが出来たりする緑が生い茂った広い公園。夏場は地面から吹き出る噴水が設置されていて、水遊びの穴場スポット的存在でもある公園。我が家からはバスか電車に乗って30分ほどで着く公園へ娘と二人で行った。

近くまでは来たことがあるので「みたこと ある~」という娘の反応があり「そうそう、覚えてるんだね~」と4歳の記憶力に感心したりしながら、木陰を歩いて公園内へと入っていった。この日は日差しも強く、まだ帽子を持っていない娘に薄紫のキャップを買ってから出かけていた。繋いでいた手をほどいて先を走っていく娘を見て、心の中で(あ~このキャップで正解!娘似合ってる!かわいいぞ!)とつぶやきながら、遊べる場所はないかなぁ~と公園の奥へと進んでいった。


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遊具のない公園にがっかり…「つまんない!」のデジャブ

進んでいくと、、、噴水スポットが見えてきた。ん??でもなんだか様子がおかしい。水色のビニールシート、赤のカラーコーン、黒と黄色の立ち入り禁止のテープがぐるぐるとはりめぐらされている。噴水の季節としては早いのは承知していたけど、おやおや、ここまでするの??と違和感を覚えたけど、次の瞬間、新型コロナ感染拡大防止のためかと納得してる自分がいた。


そして、4歳娘は私に疑いの目を向ける、、、

娘 「この こうえん って ゆうぐ ないの? ゆうぐ どこにあるの??」

そう、、、私は緑の中に自分の身を置きたくてこの公園に来たのだ!(ごめん!娘!)遊具が無いのを知って。。。だから、おそらく公園=遊具と捉えている娘の為、ボールやらシャボン玉やら、フリスビーを仕込んできたのだった(笑)

娘 「遊具、ないね~公園だからあるはずなのにねー」

そして言われる。

娘 「えーーーーつまんない!」

私 「・・・」


そう、私はこの娘の「つまんない!」の言葉が数日前、私の心にぐさりと刺さり、私はこの公園に来たのだ。4月7日緊急事態宣言が発令され、保育園をお休みをして始まった9時-17時の在宅勤務。どうやって過ごしてもらうかと、私なりに娘の楽しめそうなものを仕込んだり、オンラインなんたらに申し込んだり、LINEで保育園のお友達や祖父母やいとこ達とおしゃべりさせたり、ハサミに夢中な娘に気付き、娘用のピンクのハサミや糊、テーブルを用意したりした。初めは、意外と在宅勤務出来んじゃん!と陽気だった。しかも近くでレストランを経営している夫がランチ後には一度帰ってくるので、そこで公園へ連れ出したりもしてくれていたので、娘の気分転換もされて何とか過ごせていた。


それでも、、、在宅勤務が3か月目に入ろうとした頃には、私もネタが尽きて、「一人」で探すネタ探しに「疲れて」いた。結果、どうしても娘がスマホを手に取る時間が増え、その事で私の娘に対する口調は強くなっていった。私の「疲れ」の度合いと共に…


そしていつものようにYouTubeを観ている娘に向かって「いつ止めるのー!」と、恐らく、やや強めの口調だっただろう、、、次の瞬間、娘の口から出てきたのは…


「だって なにやっても つまんないんだも~~~ん うぎゃーーーー泣」


一瞬私は止まった。娘の言葉は「痛み」として聞こえてきて、それは私の心に突き刺さった…心の中で私も泣けてきた…


この出来事は5月26日、緊急事態宣言が解除された週の木曜日だったと思う。なので、この週末は外へ連れ出そうと思った。公園なら娘も喜ぶだろう、でも人の多い公園はちょっと…私としてはちょっと緑に触れたい、そんな風に思っていた。


そして、到着した公園で聞いた「つまんない!」の一言。デジャブ感が満載だった。罪悪感から私はこの公園に来ているのを薄々感じながら、でももう一方ではシャボン玉やボールやフリスビーを仕込んで娘を楽しませたい・娘と楽しみたい私、そして「疲れ」を公園の緑に吸い取って欲しい私も、もちろんいた。


娘の「つまんない!」の一言でまたチクっとした心の痛みを「そうだねー遊具、見つからないないね~、つまんないか~、困ったねぇ~」(娘よ、遊具が無いのは知っていたよ、、、ごめん!)と味わう。

(私が楽しまねば!楽しませてやるー!)そう思って自分を奮い立たせた。そこからは速かった。仕込んだシャボン玉が大活躍で、娘も私のテンションに引っ張られた様子で楽しく過ごせた。この日はうまくいって良かった。


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そして、帰り道。4歳の娘に言われた。

「ねー ゆうぐ なかったけど たのしかったね!また こようね!
   こんどは パパともこようね!」

この一言が、チクっとなった心の痛みに絆創膏を貼ってくれたような気分になり、「あ~よかった~そう言ってくれて、嬉しいわ」と返しておいた。


「つまらない」を「ある」が「まま」にしておく

「この日はうまくいった」は、ほんとそうだった。いつもいつも自分を奮い立たせらせる日ばかりじゃない。がっかりした後に、楽しむぞ!のエネルギーに変換させるんだから。。。


こういう時、がっかりな気持ちに飲み込まれればそのままふきげんになり、子どもと楽しめないし、さらには「せっかく連れてきたのに、そんなこと言わないでよ!」とがっかりという「痛み」が「怒り」に変わる。


だから、がっかりをきちんと味わうことでも少しは気持ちが落ち着くもの。でも、がっかりを味わうことでがっかりは昇天していったりはしない。軽くはなるが、なくなりはしない。あるものはあるのだ。がっかりから気持ちを切り替えて、楽しもうとすることは、一見ポジティヴに見えるが、がっかりをなかったことにしようとしていないだろうか??それはじぶんのがっかりの気持ちを否定というか、無い方がいいものとして扱っているような気がする。


あるものをなかったことにするには、現実世界でも隠すための「手間」がかかる。それだけコストやエネルギーをつぎ込まなくてはいけない。


私は公園でそれをやっていた。うまくいったから良かったけど、後から「縁側スペースneiro」を運営されている 新田順子さん にSNS上でコメントされて、ハッとした。

「つまんない!を親子でつまんない!と本音で言えて、
  つまらないごと楽しめるの最高だよね!」

(あ、、、、つまらないごと携えて楽しめばよかったんだ・・・)って。

「つまらないと共に楽しむ」

気持ちを暖める

これが感情に抵抗しないということなんだねと。つまらないをなかったことにせず、共に・一緒に・携えたまま、「え~~~い!いっしょに楽しんでやろうじゃないか!」とチャレンジ・挑戦する感じ。つまらないを悪者にして戦う相手にしないでね。これが、ネガティブな感情でも「共にある」ということだ。「ある」が「まま」にしておくということ。

そして、いつの間にか「孤育て」してた

もう一つは「疲れるまで一人でやらないこと」だった。子どもが一人でも楽しめるアイテムや私の手をかけず娘が時間を過ごせるのは、ここは母としてのスキルアップ!なんて考えて、張り切っているうちは良かったけど、、、得意なことじゃないから疲れるんだった…汗

ネットで調べるだけじゃなく、そのまま誰かのアイディアをパクったり(プライドが邪魔して出来ないことあったの!)、夫にだってアイディアもらったり(私の方が知ってるし!というプライドがあったよ!)、もっと他を頼ればよかったのよね。いつの間にか「孤育て」してた。怖いね~~!!(ホラー映画より怖い!)こういうのホント、ホント気付かないんだよね…「疲れた」というじぶんの状況を「サイン」と解読出来ない時、人はふきげんな道をまっしぐら、、、

「サイン」と受け取り心を読んでいく

ここまでじぶんの心が読めたら、ひとまずOK。また、ごきげんな私が現れてくるから。

と言っている間に、また新たな心のチクりがやってくる、、、

そして、また心を読む。でも、解決しないまま次の出来事が起こって…(笑)子育てってそんなもんなんですよね、、、それを解決対象とせず、共に携えながら、丁寧にチャレンジ・挑戦していくこと。それが私が言う「ごきげんママ」。

怒っても・イライラしてもいい。程度の差はあれ、怒らない・イライラしない子育てがあるだろうか??怒りもイライラも我が子が大切な存在だからこそ抱く感情でもあるもの。そもそもイライラしない子育てなんて無いのに目指そうとするから苦しむんじゃないのかな。感情を失ったら人間止めるのと同じ。怒りもイライラもあっていい、そう許して・承認して、蓋をして無いことにせず「ある」が「まま」にして、サインとして受け取ること。


今日はどんな子育てが繰り広げられるかなぁ、、、どんなサインが現れるかなぁ、、、

「え~~~い!いっしょに楽しんでやろうじゃないか!(笑)」

今日もがんばろーごきげんな一日を!

なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。