「子どもは育つものよ」と我が子が産まれたばかりに言われた時、「何言ってんの!?育てなきゃダメよ!」と意気だっていたいたことを覚えている。でも、栄養と環境を与えれば、どんなに大人が教えなくても子どもは自分で立ち、自分で歩き出すのを見ていると、けして親が育てているとは言えないことに気付く。

子どもはありのままに育つ能力を持っているが、大人がそのありのままを信じて見守れるまで、親が親として育つと、安心して子どもはありのまま育っていくのだろうと思う。

子どもは成長の塊、好奇心の塊である。自らの興味関心は自分で知っている。突拍子も無い夢を持ったからといって心配することはなく、自分が何者であるかを知るために出来事は起こるもの。親がそこで親よがりな何らかの力を働かせると、後々子どもは迷うことになる。

親から見て理解できないことも、子どもの全ての行動にはプラスの目的がある。自分の成長に必要だと思ってやっている。やってどんな結果になるか、自分の行動に責任を自分で取れるのかなど、安全が確保され、迷惑にならないのであれば大いにやらせるべきである。かすり傷はたくさん負わせるべきだ。

ありのまま育てる中で親に必要なことは、「信じ、見守ること」に尽きる。それが子育てにおいて正しいことであることに気付くまでには、多くの場合少々時間がかかるようである。それが親としての成長の必須項目ではないだろうかとも思う。だからこそ、親が育つことで、子どもは初めて安心してありのまま育つ、と言うこと。

親は多くを与えず、ありのままDNAに備わった能力や才能を発揮できるようサポートするべきだ。そしてそれは自分にも当てはまると信じて、自分の能力や才能を発揮する姿を子どもに示すべきだと思う。

我が子に望む前に、ママが自分の人生を生きる。

それが子育ての本質である。

親が自分の人生を生きる責任は子育ての中にもある、ということ。

なんか、まとまらなかった・・・


なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。