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「これからの時代を生きる為に必要な力とそれを育むための親の見通し」おおたとしまさ さんの講演会へ行ってきました。

上手にここに書けるとは思わないのですが、ここに記録として残します。内容の記録も一部ありますが、自分の中での「気付き」の記録です。

実際の姿は想像とは違いました

おおたとしまささんの本を読んだり、Facebookでフォローして追いかけていました。本質的なことを分かりやすく言う方だなと、そしたら、ちょうど講演会を見つけて行ってきました。

動く姿を見たり、声を聴くのは初めてだったので、思ったよりスリムな方だな!とか、声が細い方だな!とか、私の想像とはちょっと違う姿をしていました。

読んでいた本はこちら


自分は何者か?

不確実なこのご時世。安定することが(正社員で働くことが、みたいな)美徳となんとなく空気で育ってきた親が、この不確実な時代でどう子育てをするか。すごく興味深いことだと思います。

これだけは親として子どもに伝えたい、「究極のメッセージは??」をシェアすることから始まった講演会。

「自分で人生を歩める人」「好きなように生きられる人」「自己実現をしながら社会へ貢献できる人」「コツコツと努力出来る人」「自分を大切に出来る人」こんな内容が、会場の親からは、子どもに伝えたい究極のメッセージとして挙げられました。キーワードは「自分」。

お話の中で出てきたワード、「自由」。「自由」とは?という問いを投げかけられました。それは、おおたさん曰く、、、

あらゆる価値観から解き放たれるとき、初めてなれるのが「自由」。

では、、、ありとあらゆる「価値観」から離れたとき、残るものは??それは自分の「価値観」しかない。自分の価値観がどこにあるの??自分にとっての答えはどれなの??迷ったり、悩んだりしてモヤモヤしている状態に耐えられる強さが、これからは必要である、と。問いを問いとして持ち続けられる強さ。モヤモヤしちゃうことに、耐えられる強さ。それが、自由に耐えられる強さである、と。

自分の軸がいったいどこにあるか分からないまま、答えはなかなか出せないし、自分にとって何が大切か分からないまま、大切なものを大切に出来ていなかったりする。まさに、多くのママが究極のメッセージの中に選んだキーワードである、「自分」だった。

ただし、この「自分」にも落とし穴がある。「自分の好きな通りに」「自分の思った通りに」生きる事に重きを置いていると間違ったこととなる。それを本当にうまく、そして分かりやすく、おおたさんは伝えてくれた。

子どもに必要な大切な3つの力

①そこそこの知力と体力
②GRID(やりぬく力、折れない心)
③自分にはない才能を持っている人とチームになる力

①はそれこそ、そこそこでいいと言う。小学校中学校高校行っていれば、得られる力。
②は分かっているようで、なかなか分かっていないのではないだろうか?と個人的に思った。例えば、幼稚園・学校の先生や相談した誰か、ママ友やネットや本の言葉に影響を受ける心。この状態が続くと、考えることを止めたりしていないだろうか??
親である自分のことを言われているかと思った。(実は、まさに私は今、心が折れかかっている…)
③これは、人と繋がる力ともいえる。おおたさん曰くチームになるために必要なことは

「共感的コミュニケーション」と「論理的コミュニケーション」
もう一つは「スペシャリティ」

相手の思いに「そうだよね~」と共感するコミュニケーション。
でも、実際は全て共感できる話や相手などいない。そこで必要なのが、論理的コミュニケーション。AとBという違う意見の「前提」の話をしていくと見えてくる土台。同じ背景や同じ環境で過ごした人はいない。同じ環境で過ごしたとしても、自分の中で培う土台は変わってくる。その「違い」を理解するコミュニケーションの事を言っていた。

そして、スペシャリティ。これは、、、自分が何をしていると幸せであり、喜びであり、心震えることなのか、継続して情熱を注げるもので、誰かの役に立てたりするもの。これを磨かない事には、"チームの一員=どこかで必要とされる人にはなれない。”とおっしゃっていた。

そして、このスペシャリティがブレイクするか・しないか、もしくは、大ブレイクするか・しないかは、「運」であるとも言っていた。風が吹くかは"能力の差”ではなく、「運」であると。その時代に合っているか合っていないか、ともいえるかもしれない。

「結局、親は無力である。」

そして、親はどうしても「何をしてあげよう??」と鼻息を荒くして構えがちだ。でも、おおたさんはこうも言っていた。

「結局、親は無力である。このことをハッキリと気付いたとき、子どもが有能であることに気付ける。結局、親はそばにいる事しか出来ないもの。」

この子に「何をしてあげよう??」と鼻息を荒くしているうちは、子どもは無能で、教えてあげなければならない存在、として見ていることになる。

そうではない、と私も思う。子どもは自ら育つ存在だ。それが、子どもへの「信頼」であるとも思っている。

そして、私は、、、今日のこの話を、、、我が子のことの話である以上に、「私がこう生きているか??」という問いを突き付けられた。。。

それはそれは、凄くしんどい。。。心が折れやすい私には特に。我が子に求める前に、、、親である私に必要な言葉であったことを改めて、再び気付かされたのでした。


なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。