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酒蔵ホールとキッチンカーでタコスを販売中!海外と日本の文化交流ができる場をつくりたい。

いつだって食と音楽が人と繋げてくれた。
僕はここで新しい食と音楽の文化を作りたい。

都筑正寛さん

高知県日高村のフリーミッション型の地域おこし協力隊3年目。神奈川県横浜市出身。27歳の時に日本から飛び出し、20年間ロサンゼルスに住んでいた。2017年に日本に帰国し、縁もゆかりもない高知県に移住。1年間のチャレンジショップで、ロサンゼルス時代に仕事として携わったレコードや雑貨、タコスの調味料等を販売。その後、フリーミッション型の日高村の地域おこし協力隊となり、現在、“MASACASA TACOS(マサカサタコス)”として、日高村酒蔵ホールをはじめ、キッチンカーでイベントを周りタコスを販売している。

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Q:地域おこし協力隊になる前はどのような仕事をしていましたか?
A:20年間ロサンゼルスで、音楽にどっぷりつかっていました。

ーーー高校生の時にロックバンドを組んでおり、もともと音楽が大好きだったという都筑さん。
でも、本気で音楽の勉強を始めたのは27歳の時だったという。

「海外への憧れがずっとあったんです。だから海外に住めるかもしれないっていう甘い考えで日本の外資系のホテルで働いていたんですけど、何年か経った時、ここでずっと働いていても海外には住めないって気がついたんです。

27歳の時でしたね。『じゃあ、本気で自分が好きなことをするために海外に行こう』と思いたって。大好きだった音楽制作の技術を学ぶためアメリカに飛び立ちました。もちろん、不安はあったけど、なんとかなるだろうって感じでした(笑)

ロサンゼルスのレコーディング学校を卒業した後は、レコーディングエンジニアとして働いたり、バンドのツアーのクルーとして、アメリカ全土だけでなくヨーロッパなどいろんなところを回っていました。休日も音楽仲間とスタジオでレコーディングの練習をしていたので、本当に音楽にどっぷりつかった日々でしたね。

何年かロサンゼルスで音楽に携わり続けて気づいたのは、“海外ではいろんな人種の人が、お互いのいいところをうまく混ぜ合わせて新しい音楽を作っている”ということ。
例えば、他の国からきた人が新しいリズムで、現地にある楽器を使って演奏することで、新しいジャンルの音楽ができるみたいな。そういうことは、世界中のいたるところで起こっているんです。

異文化交流のおもしろさを目の当たりにして、『日本の文化と海外の文化をもっと繋げていけたらおもしろいな』って思うようになりました。」

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Q:なぜ20年間住んだロサンゼルスから日本に帰国されたんですか?
A:きっかけは東日本大地震でした。
好きなようにやらせてもらっていたぶん、家族に恩返しをしたかった

「本当はずっとアメリカに住み続けるつもりだったんです。日本に帰国することを考え始めたきっかけは東日本大震災でした。震災の時は、ありがたいことに家族みんな命に関わるような大きな被害はなく無事だったのですが、地震が起きてから24時間電話が繋がらなくて…どんな状況なのか、家族みんな無事なのかどうかさえ分からず、とても、不安だったんです。

やっぱり何かあった時にすぐに家族を助けられるところにいたいなって思いました。27歳で日本を飛び出して、今まで好きなようにやらせてもらっていたぶん、家族に恩返しをしようと日本に帰ることに決めました。」

Q.日高村で地域おこし協力隊になる前に、1年間高知県でチャレンジショップをされていたとのことですが、なぜ、高知県だったのですか?
A.タコスに欠かせないハラペーニョの栽培ができるところを探すために、日本を当てもなく旅をしていた。辿り着いたのが、高知でした。

「帰国する時には、とりあえずタコスと音楽をやるってことだけを決めていました。最初は実家がある横浜で店をやろうと思ってましたね。でも、タコスに欠かせないハラペーニョ(青唐辛子)を日本で調達しようと思ったらとても高くて…『これは自分で生産しなきゃなやっていけない』って思いました。
実家がある横浜よりもっと自然が豊かで、ハラペーニョの栽培に適しているところを探すために日本を当てもなく旅をしていたんです。」

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ーーーそんな旅をしている時に、何年も会っていなかった友人から突然『今高知にいるから、高知に来ない?』と連絡がきて訪れたのが、都筑さんにとって人生初の高知県だったそう。そのなんとなく行った高知旅行での人との出会いが全てのきっかけだったという。

「高知県で出会った農家さんに『タコスと音楽をやりたいんです』って相談してみると、
『本当にくるならハラペーニョ作るよ』って言ってくれたり、たまたま入ったレコード屋さんの店主と一晩中、音楽のことをたくさん語り合ったり。
みんな初対面だったのにですよ(笑)とにかくおもしろい人にたくさん出会えたんです。
『美味しい食材も、珍しい食材もたくさんあって、人もおもしろい。おまけに、山も川も海もあって自然豊か!高知、いいかもしれない!』って思ったんです。

それから高知県の移住相談センターに行ってみたところ『開業を希望している人に割安で空き店舗を提供してくれる“チャレンジショップ”をやってみれば?自分のことも知ってもらえるし、横の繋がりも広がるよ。』と提案をしてくれたんです。」

ーーー高知県に魅力を感じていた都筑さんは、助言してもらった通り、1年間のチャレンジショップをすることを決断し、高知県にやってきた。チャレンジショップでは、ロサンゼルス時代に携わったレコードや雑貨、タコスの調味料等を販売していたという。

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Q:その後なぜ、日高村で地域おこし協力隊に?
A:高知県で出会った音楽好きの友人が紹介してくれた、“日高村酒蔵ホール”。ホールでの音の響きと、築120年で酒造所を改修してできたと言う歴史に惚れました。

ーーーショップをしていることで横の繋がりが広がっていき辿り着いたのが、築120年という歴史ある建物、旧松岡酒造を改修されてできた“日高村酒蔵ホール”だったという。

「高知県で出会った音楽好きの友人が、“日高村酒蔵ホール”を紹介してくれたんです。実際に訪れてみて、ホールでの音の響きと、『築120年で酒造所を改修してできた』と言う歴史に惚れました。海外の人を呼んでイベントをする時には、日本の歴史を感じてほしいってずっと思っていたのもあって『この酒蔵ホール、最高じゃないですか!』ってなったんです。

それに、ハラペーニョを作るよと言ってくれた農家さんは日高村の隣にある伊野町にあり、トルティーヤの生地の原料の地キビを作っている農家さんがあるのは、日高村の北部にある仁淀川沿い。お世話になっている人がみんな日高村の周辺にいるので、迷うことなく『日高村を拠点にしたい!』と思いました。

今こうやって振り返ると、高知県にきたのも、日高村にきたのも、全て人との繋がりで導かれたんだなと思います。チャレンジショップやっていた時って、正直売り上げが0円みたいな日もあって、これだけで生活していくのは苦しいなって感じでした。だけど、それ以上に得たのが人の繋がりだなと。その時に出会った人たちに、今でも助けられています。」

都筑さん


Q:どのような活動をされていますか?
A:タコスの店を日高村酒蔵ホール、キッチンカーなどで出店しています。これからは、子どもが音楽や食いろんな文化に触れられるコミュニティーを作りたいと思っています。

「“MASACASA TACOS”というタコスの店を日高村酒蔵ホール、キッチンカーなどで出店しています。今は、新しい挑戦として無農薬の原材料でタコスを作りたくて、最近ハラペーニョや地きびを自分で育てています。でも、カラスに食べられたり、虫にやられたり、やっぱり簡単ではないですね…
試行錯誤しながらやっています。」

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「タコス以外には、教育現場にも携わっています。
子どもたちに絵本の読み聞かせをしたり、日高村の小学校の6年生にキャリア教育の授業を行ったり、レコードで音楽を聴きながら幼児が自由に楽器に触れるイベントをしたりしています。

子どもがいろんな文化に触れられるコミュニティーを作りたいという気持ちがずっとあるんです。ロサンゼルスに、“レマートパーク”っていう、本屋・ライブハウス・美術館・カフェなどがひとつに集まっている場所があって。そこではプロもアマも年齢も関係なく一緒にライブハウスで演奏していたり、外で子どもとおじいちゃんがチェスの対決をしていたりするんです。子どもたちがいろんな文化、いろんな世代の人、いろんな人種の人に触れることができる場所でした。

それを見て『子どもたちの才能の芽が出やすい環境が整っているな』と思ったんです。
日本でも『子どもの時あんなことしたな』って思い出して人生の糧になるような経験ができる、そういう場所を作りたいと思うようになりました。

その第一歩として、小学校に絵本の読み聞かせをしにいくようになったんです。少しずつ教育現場に関わるようになったことで、キャリア教育の授業をやってくれないかというお話をいただけました。

授業では『世界は、学校や家庭だけじゃないもっと広いんだよ』ってことと、『好きなことをやり続ければ認めてくれる人が必ず現れる、それがいつか自分の拠り所になる時がくるからね』っていうことを伝えましたね。子どもたちには、『自分らしさを出せる場所を見つけて、自分が好きだと思ったことは信じてやり続けてほしい』という想いがあったんです。

その授業をした後に、子どもたちからお礼の手紙をもらって、子どもたちの言葉にキュンとしました(笑)『自分が好きなことをもっとやっていきたいです。』とか『今度話を聞いてもらいたいです。また学校にきてね。』って言ってくれるのをみて、伝えたかったことが伝わった気がしました。授業やってよかったなって嬉しくなりましたね。」


Q:フリーミッション型の地域おこし協力隊はどんな人に合いそうですか?
A:やりたいことやゴールがあって、計画をたててそれに向かうことができる人。

「やりたいことやゴールがあって、計画をたててそれに向かうことができる人ですかね。フリーミッション型って『この業務をやってください』って言うのが全くなくて、『あなたのやりたいことをやってください』という感じ。縛られずにある意味なんでもできるから、やりたいことがある人は活動がしやすい、ぴったりな制度だと思います。でも、3年間って思ったよりあっという間なので、こっちにきてからやりたいことを探すつもりできちゃうと難しいかもしれないです。」


Q:日高村の魅力はなんですか?
A:「この人には、こんな人を紹介したらいいだろうな」という風に、人と人をつなげてくれるところ。見返りを求めることもなく、純粋にそうしてくれる人がたくさんいることです。

「人がいいことですね。日高村に限らずかもしれないんですけど、高知の人は“人”を紹介してくれるんです。しかも、見返りを求めてってわけでもなく純粋に、『この人を紹介したら、この人にプラスになるかな』っていう感じ。そのおかげで、タコスの食材を作っている農家さん出会うことができたし、日高村の酒蔵ホールに辿り着けた。おまけに、実は今、私が移動販売用に使っているキッチンカーも、日高村の人に見付けてもらったものなんです。本当にありがたいです。高知にきて出会ったみんなに感謝をしています。」

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「あと、小学校で授業をしたり、読み聞かせをしたりしてわかったのが日高村は子育てがしやすいなってこと。すごく熱心で、子どもたちに対して親身になってくれる先生がたくさんいます。それに、障がいを持っている子どもやその家族へのケアがとても手厚いんです。日高村で子育てするのはすごくやりやすいでしょうね。周りの人がいつも気にかけてくれるし、親身になってくれるから、安心できると思います。」


Q:この記事を読んでいる人へメッセージをお願いします。
A:高知の食や人や文化は、全部”宝”です。

「日高村から高知市内までバイパスも通っているので車で30分くらいで行けちゃう。交通の便も悪くないけど、川も山もあって自然が豊かで住みやすいです。
高知の食も人も文化も、言葉では言い表せないけど、なんか特有で全部”宝”だなと思うんです。ぜひ、一度訪れて、そんな高知の“宝”を楽しんでいただきたいです。」


Q:協力隊卒業後がどのような活動をしていく予定ですか?
A:ゲストハウス兼カフェ兼滞在型のレコーディング施設をつくりたい。そこで、海外の文化と日本の文化が交流できればなと。

「高知市内で毎週行われている日曜市でをはじめ、タコスの移動販売はこれからもずっと続けていきたいですね。あと、高知って結構音楽をやっている面白い人がたくさんいるんですよ〜!こっちにきてから出会った音楽仲間と音楽制作をしたいなと思っています!

最終的には、さっき話をしていたコミュニティにも繋がるんですけど、ゲストハウス兼カフェ兼滞在型のレコーディング施設をつくりたいと思っています。その施設に、ロサンゼルスにいた時の音楽友達も呼びたい。高知の人にも、海外の文化を知って欲しいし、海外の人にも、日本の文化を知って欲しいです。文化が交流する場があれば、きっと自然に新しい文化が生まれるはず。
今は、それができる物件を探しているんですけど、なかなかうまくいっていなくて…

でも、今はコロナ禍で海外から人を呼ぶのも難しいので、焦らず徐々にやっていきたいと思っています。田舎で物件を探すのに必要なのは縁と運なので、いろんな人に相談しながら探していきます。」


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