床屋

「いつもと同じ感じで」

二ヶ月に一回ぐらいの頻度で床屋に行く。飲食店などのお店に行くときは予約はしていかないのだが、床屋は必ず予約をしていく。ふらっと行って、空いていたから立ち寄ってみたよ、なんていう粋なことはできない。すみません今日一杯です、と言われてしまったときの、浮かれた気持ちを狙撃されたような感覚に耐えられない。

店内に入ると、待ってましたと電動椅子に案内される。座ると理髪師から、今日はどうしますか、と聞かれる。向こうもある種の儀式のように聞いてきているだけで、答えは分かっている。

「いつもと同じ感じで」

私は社交的な方ではないので、散髪が始まるとすぐに目を瞑り、ハサミの動く音を聞いている。しかし理髪師は気を遣ってなのか性格なのか、はたまた仕事の一つとしてなのか、ちょくちょく話しかけてくる。話題はたわいもなく、最近のニュースや、地元の話しだったりする。私は目を瞑ったまま、そうですね、などと相槌を打ち、同意したり感心した振りをする。しかしいかんせん話下手であり、会話のキャッチボールはニ往復もすれば終わってしまう。隣の別の客の方で理髪師と話しが盛り上がっていたりすると、私は何だか申し訳なく感じる。つまらない客で申し訳ないと。

話しが続かないのも良くないが、もっと悪いことがある。それは、ドライヤーを使われたり、耳元で電動バリカンを使われている最中に話しかけられることだ。何か言っているなという音の響きは感じられるのだが、内容が聞き取れない。話しかけてくる理髪師も理髪師で、聞き取れると思っているのだろうか。もしかして、聞き取れないというのを分かった上で話しかけてきているのではないだろうか。その上で、私の反応を楽しんでいるのではないか。

かといって、聞こえないです、と言うのも何だか悪い気がする。私は内容もよく分からないことに対して、どうとでも受け取れるように苦笑し続ける。かれこれ十年以上通って、切ってもらっている理髪師さんだが、彼と私のこの溝が埋まることは永遠に無いのかもしれない。遺書にでも残しておいた方がいいのだろうか。

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