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布団を捨てました

わたしにはお母さんがいて、この人というのが困った人で、平たくいえばまぁマイルドめな虐待を受けていたんですけど、10年間くらい。お母さんはわたしの物音とか挙動とかがいちいち気に入らないらしくて、小6の女の子なんていうのはおしゃれに目覚めたりもするものですが、夜に洋服を鏡の前で試着していると、その物音で起こされたと怒鳴り込んでくることがありました。別室で寝ていたはずなんですが、うるさかったんですかね。その時はなんだかそこら辺に置いてあった紙袋で背中をしこたま叩かれた記憶があります。ちょうどなにかを拾おうとして、身をかがめていた時だったんですね。言い訳する暇もなく乗り込み、即、殴打ですから、そうとう頭に来てたんでしょう。他にはわたしの目つきがムカつくと言って、階段の上から突き落とされたことや、これまた寝ていたのに起こしたと言って、車の中で怒鳴られ続けたこともあります。

でもお母さんはわたしが中3になって、塾に通い始めたらてきめんに暴力暴言をやめました。思うに、それまで四六時中顔を合わせていたのがだめだったんですね。わたしも友達のいない子どもでしたので、ずっと家にいましたし、彼女は彼女で自分の両親と同居の、専業主婦というかニートのような存在だったので。外界との接点を持たないまま、好きでもない人間(この場合は祖父母とわたしのことですが)と四六時中顔を合わせるのはそうとうキツかったことでしょう。

ほんとうに、ほんとうにわたしのことが嫌いだったんでしょうね。まあ彼女に好きな人間はいなさそうですが。

話を戻して、子どもが塾に通い始めると、家で顔を合わせる時間が少なくなるわけですが、これが彼女には効いたようです。記憶は定かではありませんが、これと同時期に彼女はやっと精神科にかかりだして、統合失調症という診断がおりるかどうかの頃だったと思います。とにかく夜に眠れない、朝から昼過ぎまで寝てしまうんだけど、その時当たり前に発生する物音(特に隣家のドアベルに彼女は固執していました)がつらいと言っていたようです。眠れるお薬を貰って、一日中ぼんやりと万年床に横たわるようになりました。すると不思議なことに、あれほど嫌がっていた他者の生活音というか存在が恋しくなったようで、祖母やわたしに家にいるように頼み始めました。わたしはこれにはそうとう反発しまして、まあ14歳かそこらの子どもに精神的配慮を求めるのは酷だと今では思いますが、とにかく今までおまえは目障りだくらいのことを言われていたのにこの手のひら返しはなんだと思いました。けれど謎なんですが、文章にしてこの程度のことをハッキリと伝える能力もなかった。自分でもよくわかっていなかったのだと思います。とにかくわたしは24時間お母さんとベッタリ仲良くとはできないし、受験の準備で忙しいみたいなことを、柔らかく言ったり嫌味を混ぜたり怒鳴り返したりしたような気がします。受験で忙しいという耳障りのいい理由をずいぶん乱用しました。

時は飛んでわたしは東京で大学生になり、大学を卒業し、まだ東京にいます。お母さんはどんどんどんどん悪くなり、いや、医学的には現状維持もしくは寛解なのかもしれませんが、10年以上布団で横たわり続けた顎は完全に歪んでいますし、歯並びもガタガタになって、腰がまっすぐになることはもうありません。精神医学の力でとにかく生きながらえたわたしのお母さんは、もうわたしに大声で怒鳴りつけ、わたしを背後にさきさき歩き、怒りに任せて乱暴に運転したお母さんではなくなってしまいました。彼女に残されたものはとりあえず薬を飲んで眠るという習慣と、わたしへの執着だけのように、わたしには見えます。

そんなお母さんとの対面を、わたしはずっと拒否してきました。しかし執着心というのはすごいもので、それならばと彼女のほうが東京に単身会いに来るようになったのが3年前の話です。それ以来毎年12月はわたしの部屋に泊まりに来ることが恒例になってしまい、わたしはそのたびにうろたえ、憎悪に燃え、ひどく悲しい思いをしてきました。

お母さんの歪んだ顎や、歯石が溜まったガタガタの歯列や、ヨタヨタと歩く痩せた足や、手入れができないのでざんばらに切られた白髪混じりの髪の毛が悲しいです。ご飯をこぼしてはうろたえ、電車の乗り換えで慌ててはカバンを落とし、わたしに置いていかれないように、わたしの機嫌を損ねないように常にぼんやりと笑うお母さんがとにかく悲しい。かと言って、決してあのまま虐待的であってほしかったわけではなく、わたしはお母さんに求める態度も言葉も持ち合わせていません。10年以上前のことを謝ってほしいようでもあり、嫌われていたぶんは楽だったようにも思い、いまの、わたしの足にすがりつく小さな老犬のような態度を無性に慈しみたくもあります。自分の感情がグラグラ揺れるのがとにかくしんどいので、なにか型にはめたくて、母親を憎むという方針に決め込んでいるだけなのでしょう。ほんとうは憎くも愛おしくもなく、とにかく悲しいのです。

3年目のお泊まりが終わり、彼女は実家へ帰っていきました。毎年お母さんを品川まで見送ったあとはこの気持ちをどうすればいいのかわからなくて奇行に走っていたような気がしますが、今年は彼女が使っていた客用布団をマンションのゴミ捨て場に出してしまいました。

これはわたしが上京の際持たされたもので、彼女は泊まっている間律儀に上げ下ろしをしていました。いかにも田舎の古い家にありそうな、原色の大きな花柄の、重い、日本綿の敷布団。ゴミ置き場へは鍵を持たずに引きずっていって、イヤホンからは爆音でルナティック・カームが流れていました。布団を置くとオートロックの扉が閉まったことに気づいて、正面玄関に回るとちょうど女性が入っていったので、閉まりかけの自動ドアに走って身体を滑り込ませました。

わたしはあの布団を泊まりにきた友人などにも使わせていたので、今後不便になると思いますし、これから区の粗大ゴミ回収を予約して、コンビニで粗大ゴミ券を買い、番号を書いて貼り付けないといけません。でも、とにかくいまはあれが、今朝まで母親が苦しげにいびきをかいて寝転んでいたあの布団と、彼女の唾液と頭皮の匂いがしみついた枕が自分の部屋にあるのが嫌だったのです。もうなにをしてもしなくても、同じだけ苦しく悲しいのだと思います。

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