『ジョーカー』を観た
『ジョーカー』を観た。実質永山則夫だと思った。以降ネタバレ含む。
よかったところ
・イライラの末の初めての殺人(仕事帰りでたまたまピエロ姿だった)がなんかヒーロー視され、いつの間にかピエロがデモ隊のアイコンになっていたというしかけ。よく考えたなと思う。
・デモ隊に混じっていけない主人公。わたしは何かあるとすぐデモだ暴動だと言うし今なら香港の状況も無責任に雑に「ええやんけ」と思っているが、実際ああいう群衆での行動に乗っていける側ではないし、主人公含め内気な人間というのはそうだろう。
・ジョーカーになるために髪を染め白塗りをして~訪ねてきた同僚を殺し~階段を降りる(rock'n'rollがかかる)のシークエンス。自分をチクった同僚を殺し小人症の同僚は逃してやるところで、助けられたほうが死体をチラッと見に来て「うええ…」と泣くのだが、そこの間は完全にコメディだった。トッド・フィリップスが出ていた。
・電車でピエロマスクをかぶった群衆にまぎれて逃げるところ。絵がいい。
・ラスト、パトカーの上に立って自分の血を口紅にして上がった口角を描き哄笑するところ。目の潤みに炎が反射して、こぶしを突き上げる群衆に囲まれているという絵が最高。まあこれはみんな思うことだろう。
よくなかったところ
父親探しの様相を呈してくる2幕のパート。これは退屈だった。憧れのコメディアンにハグしてもらう妄想で主人公の父性への憧憬は表現できているのだから、ここまでする必要があったのだろうか。母親の手紙を覗いて父親が政治家なのかもしれないと思いわざわざ会いに行き、拒絶され、というシークエンスはたしかに観客の憐れを誘うだろうが、すこし過剰だ。
同様に、精神病院を訪ねて母親のカルテを読み、自身の被虐待歴と養子であったという事実を知るシークエンスも説明くさく、過剰だと思う(しかし神経の高ぶりに応じて笑ってしまう疾患はここでも効いていた。母親のカルテを抱きしめながら泣きながら笑うのがいい絵だ)。
というか、父親探しというテーマじたいが凡庸なのだが、まあこれは凡庸な人間が巨悪へと転がり落ちていくという話なので合っているのかもしれない。
実質永山則夫(1969年に4人を射殺して逮捕された犯罪者)というのは、永山が社会からの疎外感を感じる要因となったひとつが、自身のルーツへの不信だったから。彼は戸籍謄本に本籍地網走と書いてあるのを見て、自分の父親は犯罪者であったに違いないと思い込み、たしかその旨を母親に詰問する手紙まで残している。己の父親が子どもを虐待するどうしようもないクズ野郎だったことを知って慟哭する主人公とどうもダブったのだ。
ネットで感想を見ていると「我々もジョーカーになりうる」というものが目につくし監督の狙いもそうだったのだろうが、最後の最後に背中を押したものが父親の不在とかルーツへの不信であるというのはすこしつまらなかった。観客の身にジリジリと迫る転落を描きたいのなら、親へのまなざしというのはもはや古臭すぎやしないだろうか。絶望的な状況の演出というのはもっと繊細になされるほうが良いと思う。まあしかしこれはわたしが家族制度を一顧だにしない異常者だからこう感じたのかもしれない。
また、薬を処方してもらえなくなって妄想に耽溺していたという叙述トリックもなにやらセコいエクスキューズのように思えてしまった。いずれジョーカーになる男なのだからべつに尋常に妄想してたってよくない?
逆に、誰かに自分の話を聞いてもらいたい、誰かに自分のことを見てほしいという欲望に身を焦がす主人公像は非常に現代的であったように思う。一貫してテレビモニターに欲望を喚起されているのもよかった。
カウンセラーに「僕の話を聞いているのか?」と迫るシーンがあるのだが、彼の母親も返ってくることのない手紙を送り続けているわけで、終始虚空に声を放り出している絶望感がでていた。
誰にも話を聞いてもらえない主人公は日記帳にただ陰々滅々としたことを書き連ねるのだが、これがまんまタイムラインに並ぶつぶやきで笑った。アーサーはツイッターをやれ。
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